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Chose de parler de la danse ダンスについて語ること

Autoportrait de l'auteur en danse :パリ、ダンス、言葉の敷石を踏みしめて

イリ・キリアンの詩篇性について

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昨日はストラヴィンスキーの詩篇について書いたが、この作曲家の有名な言葉として「音楽は音楽以外の何も表現しない」というものがある。つまり「音楽は感情や心理を表現しない」「音楽は《超個人的な超現実的なもの》のみ表現する」という意味。

今日になってふと気付いたのだが、それはまさに詩篇を振り付けたイリ・キリアンのダンスに対する方向性、まったくもって、そのものではないかと。

キリアンは前にも述べたようにジョン・クランコに師事。のちネザーランド・ダンス・シアターにて芸術監督を続けた。群舞全体がシンメトリーでミニマムな踊りをする。音楽との親和性が他のコンテ振付家の誰より高い。

現代物は好みではないといいつつ、キリアン、キリアンとこの頃わたしが言い続けているのも、実際、彼がある意味でダンスの本質を痛いほど突いているからだ。

ピナの場合、作品そのものが肌に合わないというか、生理的に受け付けない。一方でキリアン作品は高度な芸術が私の中でどういう基準か、認められ、とりあえず観て振付家の言葉を見出そうと思える。

キリアンの詩篇性については、作品がオペラ座レパートリー入りしたことから今後も見る機会が多く、継続して考察していくことができる。

明日は再びギエムに戻って、ダンサーの「ノン」孤高のリスポンシビリティ(責任)を請け負うことについて。

芸術に、ダンスに、「癒し」だけは何があろうと求めない。巷に安物のテラピーが溢れているこの時代。人々の癒されたい病は、芸術の高みと相容れない。