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Chose de parler de la danse ダンスについて語ること

Autoportrait de l'auteur en danse :パリ、ダンス、言葉の敷石を踏みしめて

パリ・オペラ座バレエ 2017/18シーズン発表

Le ballet de l'Opéra de Paris

f:id:kotorio:20170129120803p:plain パリ・オペラ座2017/18シーズン発表

ガラ(デフィレ、ハンス・ファン・マネン「3つのグノシェンヌ」シディ・ラルビ・シェルカウイ「牧神」バランシン「ダイヤモンド」)9月21日 ガルニエ
ジュエルズ(ジョージ・バランシン)2017年9月24日ー10月12日 ガルニエ 

ジョージ・バランシン「アゴン」勅使川原三郎(新作)/ピナ・バウシュ「春の祭典」2017年10月25日から11月14日 ガルニエ

アレクサンドル・エックマン「プレイ」(新作)2017年12月6日ー12月30日 ガルニエ

ドン・キホーテ(ルドルフ・ヌレエフ)2017年12月11日ー2018年1月6日 バスティーユ18公演

オネーギン(ジョン・クランコ)2018年2月11日ー3月7日 ガルニエ21公演

バンジャマン・ミルピエ「ダフニスとクロエ」/モーリス・ベジャール「ボレロ」 2018年2月27日ー3月22日 バスティーユ

オルフェオとエウリディーチェ (ピナ・バウシュ)2018年3月27日ー4月5日 ガルニエ

ロミオとジュリエット(サシャ・ヴァルツ)2018年4月10日ー5月3日バスティーユ

パリ・オペラ座学校公演 ダンス組曲 (Clustine)、Un Ballo (キリアン), スプリング・アンド・フォール (ノイマイヤー)4月15日、17日、18日

アンヌ=テレサ・ド・ケースマイケル「カルテットNo. 4」「大フーガ」「ワルギルプスの夜」 2018年4月27日ー5月18日 ガルニエ

ジェームズ・ティエレ(新作)/クリスタル・パイト「The Seasons' Canon」/イヴァン・ペレース(新作)/ホフェッシュ・シェクター「The Art of Not Looking Back」 2018年5月19日ー6月8日 ガルニエ

リーズの結婚(ラ・フィユ・マル・ガルデ) (フレデリック・アシュトン) 2018年6月25日ー7月14日 ガルニエ (7月14日無料)

《引退予定者》マリ=アニエス・ジローー「オルフェオとエウリディーチェ」エルヴェ・モローーー「ロミオとジュリエット」レティシア・プジョルーー夏のニューヨークツアー、バランシンの「エメラルド」カール・パケットーー翌2018/19シーズンのヌレエフ振付「シンデレラ」

《ツアー》2017年3月日本公演、2018年6月、7月ニューヨーク2週間、シカゴ1週間。演目は「ラ・シルフィード」「ブレイク・ワークス」「若者と死」、「エチュード」、イヴァン・ペレースの新作。2017年夏、ニューヨークで、ボリショイ・バレエ、ニューヨークシティ・バレエとの「ジュエルズ」合同公演も。

デュポンは「パリ・オペラ座はコンテンポラリーも踊るクラシックカンパニー」と語っていたが、今回古典は「ドン・キホーテ」のみ。「ジュエルズ」「オネーギン」「ラ・フィユ・マル・ガルデ」を古典として捉えているというが「1シーズン6作品も古典を上演すればダンサーは怪我をする」1シーズン4作品が限界だという。
前ミルピエ監督が創設した振付アカデミーは廃止予定。いよいよ来シーズン、デュポンの本領発揮。

オペラ座サイトオーレリー・デュポンのインタビュー動画。翻訳前半。

www.operadeparis.fr

芸術監督への就任ーー
「総裁のステファン・リスネルとは、何をすべきで何をすべきでないかと話をしていた。引退後も、私がオペラ座と距離を置いていた時も。ミルピエ退任を知らされ、こんなオファーを得てノーと返事できるだろうか。なにより、私がこのバレエ団の出身であることから白羽の矢が当たった事を理解した。この世界とは関係のない、人間的にも芸術的にもひどい人が選ばれる可能性もあった。「私は正統な後継者で、ここのダンサーも、床もスタッフもオペラ座の隅からすみまで知り尽くしている人間だ」と自らに言い聞かせた。ミルピエの挑戦は生で見て経験してきたので、今こそ自らのビジョンをもたらすことを決意した」

ミルピエの改革、および早すぎる退任ーー
「ミルピエは幾つかを理解していなかった。色々変えようとしすぎた。彼はフランス人というよりアメリカ人的で、オペラ座文化を持たない人。オペラ座学校の出身でもなく、厳しい階級制カンパニーの一員であったこともない」「ここは《パリ・オペラ座》です。彼は伝統とは縁がなく不要と考えた。しかし私はこの伝統で育ち、それは私の遺産かつ言葉そのものです」