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Chose de parler de la danse ダンスについて語ること

Autoportrait de l'auteur en danse :パリ、ダンス、言葉の敷石を踏みしめて

紺碧のヴァザーリ

Quotidien

f:id:kotorio:20170129032936p:plain D'azur, du ciel sans finーー

フランスにいてイタリアを語ろうとするとき、いつも須賀敦子が居る。20代半ば、パリで学ぶことに違和感を覚えた彼女は30を前にイタリアに出直すものの、その後はむしろ苦難の道のりで、幸僅かだった彼女のことを、だから誰も悪く言わない。

かくいうわたしも20代半ばに須賀の文体の洗礼を受けたひとりで、だからこそ敢えてパリから、須賀がこの街の硬質さ、欧州独特の石畳の重厚さから「逃げた」と。若く孤独な彼女はこの白い空に屈した。自身の目標を見出せなかった。

今日は朝4時起きで、15時間半の勉強を終え心地よい疲労感に包まれている。丸2日間どこにも出かけず机に向かう週末、演奏会の一つでも出かけたいところだが、6月までお預けだ。

ヴァザーリの列伝をつまみ読み、ウィッフィ美術館を想う。

ヴァザーリは文筆家、建築家、そして美術家として膨大な仕事を残したが、建築家としての代表作はこの美術館それ自体。彼が40歳を過ぎてから建築を習得したことを知り、同じくその歳を過ぎて日本に戻り(夫を亡くした失意のうちに)博士号を取得した須賀に、どうしても繋げてしまう。彼の文体には、毎日規則的に書くことを信条としたある種のリズムが感じられるが、それもまた「イタリア的」であり「須賀的」であると感じてしまう。彼の文章は紺碧の空と地の交わりの色に見える。対して、須賀はより暖色を求めていたに違いないが。

いずれにせよ、わたしが今日言いたいのは、わたしはかの地に色彩を求めない、ということだ。自分のいる場所以外のどこにも。今立つ地が、いくら絶望と孤独と寒さに立脚しているとしても、深く自分の根をおろすことだけを考える。須賀やヴァザーリはもはやお手本ではなく、かつて憧れたとしても、とっくに乗り越えるべき存在になっていたことに自分でも驚く。