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Chose de parler de la danse ダンスについて語ること

Autoportrait de l'auteur en danse :パリ、ダンス、言葉の敷石を踏みしめて

見掛け倒しのあの幾つかの燈台

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バレエ時代の教師が不意に思いだされた。たっぷりとした長い黒髪の、美しい人だった。黒く大きな瞳、決して笑わない、凍てついた冬の湖のようにレッスン室の隅まで全て見通して。背筋のすくむような緊張感。365日、1日も変わらなかった。

先生のご自宅のひとつ隣の駅にわたしは住んでいて、先生はいつもここで乗り換えられる。レッスンの朝や帰りに、よくホームや階段で先生をお見かけすることがあった。

美しい、凛とした立ち姿。雑踏の中でさえ、先生は一目でわかった。取り巻く空気は常にピンと張った糸のよう。首が長く背中は一枚の板のように伸び、視線はいつも遠くの2階までみているような。一目で舞踊の人のそれとわかる。

謎めいた雰囲気もさることながら、わたしはその人のメソッドに憧れていた。生徒に厳しく、決して褒めず規律や型を徹底的に重視した。無駄な会話の一つとしてなかった。

ひとりで羅針盤のない海上を漂うことに、限界を感じる。人は「師」が必要なのだ。人生のできうる限り早い段階で。「正しい方法を繰り返す」、それを導いてくれる師が。

見掛け倒しの燈台がいくつもいくつも嘘の信号を照らし、投げかけている。不幸なことに、それに騙されて岸によっては時間ばかり無駄にして、探して探して探し続けて、一生を終える人がほとんど。

先生は元気でおられるだろうか。その経歴も私生活もほとんど謎だったが、一つ知っていたのは、若い頃にドイツで修行を積んだということ。だから40代前半の歳相応の美しさの中に、どこか質実剛健、という言葉がしっくりくるような、日本人らしからぬ女性だった。明日わたしはまた先生の歳に一つ近づくのだけれど、今、その欧州の隣の国で、こうして背中を丸めた日々をおくり、美しいもの、至高のもののすぐそばにいながらそれに触れることのない私をもし知ったら、なんとおっしゃるか。

先生は、わたしのことなど覚えていないと思う。わたしはわたしの恩師が欲しかった。

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2007年のパリ・シャンゼリゼ劇場のアンナ・ネトプレンコの映像見つけた。1時間ぐらいだから今度ゆっくり聴こう。Rolando Villazónとのコンビすごいとしかいいようがない。震えます。