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Chose de parler de la danse ダンスについて語ること

Autoportrait de l'auteur en danse :パリ、ダンス、言葉の敷石を踏みしめて

エリオット・ポール『最後にみたパリ』

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『最後にみたパリ』(エリオット・ポール著)吉田健一が絶賛した、その日本語訳。エリオット・ポールはアメリカの新聞記者だったが、第一次世界大戦に従軍して渡欧、パリに住み着きフリーの物書きとして活躍した。

1920年代から40年代、激動の時代のパリを、サン・ミッシェル「ユシェット通り」の庶民の生活を通して描く。

元新聞記者のちパリにすみついたーーという経歴が重なり手にしてみた。3年以上放っておいたが引越しで出てきて、読み始めたらページをめくる手が止まらない。

ユシェット通りは今でこそ観光客向けの各国料理店で溢れているが、当時は庶民的な地区だったらしい。ポールは新聞記者としての眼をもって、極力センチメンタリズムを排し「ユシェット通り」の日常を淡々と描ききっている。

みたこと、感じたことしかかかない。深刻すぎる考察も、感傷も、一切存在しない。

硬質な文章が、書いているテーマや視点が、まさに私がそこに到達したいと日々願っているそれだった。まるで私自身がユシェット通りを生きている気分になる。

彼がユシェット通りで「パリを、そしてフランスを見つけた」日々が、私には抱きしめたいほど愛おしい。パリの異邦人として生きたその気持ちが痛いほどわかると同時に、ある種の嫉妬も感じる。つまり、私の書きたいことはすでに彼によって書き尽くされ、私の書くべきことなど、もう1ミリグラムたりとも残っていないのではないか、という。

ユシェット通りは彼にとって「フランス」「パリ」を理解する拠点だった。

貧しくても「一人の人間」として、生まれながらに自由と平等を享受する権利を最大限に主張して生きる人々。お金や家や食べるものがなくても「生きる権利」と「人生への誇り」をもつ男女がここで生活を営んでいる。朝も昼も夜も、ポールの住む建物(『オテル・デュー・カヴォー』)のカフェへ通ってくる。出身地も人種も肌の色も、職業から教養に至るまで、すべて違う。それでもカヴォーでの会話はとどまるところを知らない。ポールが愛し、描いた「パリ」がここにある。

高い教養を持つ彼は、世界に名高いフランスの文化に対しもちろん興味を持っている。しかしながら「どんな文化(社会)の基本も、普通の人間が基本的幸せの中で1日を暮らせること」だという確信を、この薄汚れた場末のカフェで得たのではないか。

ポールが生きた時代のパリが、人と人が接触せずには生きられない世の中が。衝突し、罵り合い、けれど明日には助け合う、七面倒くさいことだらけの生き物だけれど、だから彼はここに住み、文章を書き続けた。他人の弱さを自分の弱さとして受け止め、悪意、噂、不完全な国家や制度の下で、それでもきょう一日を幸せに生きようと当たり前にもがく、名もなき人々。

私が書きたいことはポールによって書き尽くされてしまったか。私にとっての「ユシェット通り」を見つけられるか。

フランスでまだ見ていないものを。基本的自由と人権の存在を、「幸福」である権利を信じ追い求める人々の姿、を。私は、私のパリを生き私の言葉で綴る。