Chose de parler de la danse ダンスについて語ること

Autoportrait de l'auteur en danse :パリ、ダンス、言葉の敷石を踏みしめて

第40話  さようならわが愛しのオスカル  Adieu mon aimée Oscar

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英語版タイトルは「Adieu, my beloved Oscar」です。こればっかりは英語版より仏語の方が響きが素敵だーー。

いよいよ最終回です。オスカル死後はぶっ飛びの「アニメオルジナル」のエピソードで独走(独創)しています。
 
「発射角45度、狙いは・・・」のシーンから繰り返される導入部。オスカル様は胸を押さえて後ろに倒れ、地面にうつぶせになろうとするも、再び上空の白い鳩を見上げて「アンドレ・・・」とつぶやきます。仰向けに倒れます。
 
大丈夫ですか隊長っ、と声を荒らげるアランに「大声をだすなアラン・・・ちゃんと聞こえている・・・」。目は大きく見開かれ、今自分の身に起こったことを、頭と、体の両方で理解しつつあるオスカル様。周囲の者に自分のことで動揺を与えてはならない、事態を止めてはならない、というのが、この状態になってもオスカル様の頭の中に真っ先にあることなんですよね。安全な場所に急いで移そうとする仲間たち。「ベルナール、ちょっと待ってくれ!オスカルが・・・」とアラン。ここは「隊長」という言葉は使っていません。
「おろしてくれアラン・・・おろして・・・お願いだ・・・とても・・・疲れている・・・だから5分でいい、静かに休みたい・・・」
《とても疲れている、休ませてくれ》とは今まで決して口にすることのなかった、オスカルの本心でありましょう。昨日、今日のことでなく、33年間を走り抜けてきたオスカルの、自らを使い果たし、ぼろぼろに疲れ果てた最後の姿。もう一つの要因として、あまり戦闘現場から離れたくなかった(自分も、また自分を取り囲んでいる隊員たちをも)こともあるかもしれない。このセリフもちろんそんなに深い意味などなくて、ああもうダメだと自分でわかって、だからもうここで・・・と単にそれだけなのでしょうが。何故か、私にはオスカル様が、この単語、このフレーズを、息も絶え絶えの中で選んだ「意図」が必ずあったのだという気がして。答えは今も・・・見つかりませんが。
 
医者は脈に軽く触れ「誰か顔の血を拭き取ってあげなさい」。ロザリー、その意味を理解し名乗りでます。原作よりも人の死がよりリアルに描かれている気がする。「・・・どうした・・・味方の大砲の音が聞こえないぞ・・・撃て・・・攻撃を続けろ・・・バスティーユをおとすんだ・・・撃てアラン、撃つんだ・・・何をしている・・・」アラン、男泣きに泣いています。「元・衛兵隊員、全員配置につけーー!」アランが大声で怒鳴るのは、みんなに向かってというより、意識の遠ざかって行くオスカルに聞かせたかったのだろう。それに応じて皆の「おう!」という熱い一言。「撃て、撃つんだ・・・」走って行くアラン、途中でオスカルに向かって敬礼。これが別れだろうとーーあなたの最後の命令を、意志を、俺達が受け継ぎます、だから見ていてください隊長、という思いだったのだと思う。荒々しいのが売りのB中隊、ここぞとばかりに隊員が心一つに本領発揮。アラン、帽子を地面に叩きつけ「ようっし!みんな、撃ちまくるんダァ!!」「うおおお」とも「よおし」ともつかぬ味方の雄叫び。怒りと勢いに任せ、息つく間もなく大砲を撃ち込みまくります。隊員達の言葉にならない思いの爆発です。味方の強力な援護を得て、市民らはついに総攻撃をかけます。
路地裏に居るオスカル達にもその様子が伝わっています。「聞こえるかオスカル、味方の総攻撃の声だ」オスカルの頭の中には、今、美しい銀河と、あの夜舞っていた儚い蛍が見えている。この世の最期の言葉は「アデュー」でした。静かに息絶えます。画面に消えた一つの蛍の光が、アンドレの姿になる。医師がオスカルの手を静かに置くと、ロザリーの絶叫。メインテーマ変奏「哀しく荘厳なバージョン」とともにオスカル様の肖像画が映し出されます。
 
そこから水彩画の数々。ノルマンディーの海岸でしょうか、恋人よろしく二人が肩を並べて歩く姿。ワイングラスをもった軍服姿のオスカル様の顔のアップ。最期の指揮となったバスティーユ砲撃の瞬間。りんごをもって椅子にもたれ、リラックスした幸せそうな表情のオスカル様、夕暮れの中、馬を走らせている二人、ピアノを弾く姿、あの夜、抱きしめあい手を取り合って愛を確かめた二人、ラストは白馬に乗って海岸をかけて行くオスカル様の後ろ姿ーーー1789年7月14日、オスカル・フランソワ絶命、そしてその1時間後、バスティーユ牢獄は降伏の白旗を出すーーという太字のテロップが流れます。
 
原作のオスカル様はあと一時間長く指揮をとり続けたわけだ。撃たれたあと、オスカルは走り寄ったアランの腕の中に崩れ落ちる。アランが抱きかかえて安全な場所に移そうとするけれど、原作オスカル様は「アンドレ・・・わたしのアンドレ・・・苦しくはなかったか?死は安らかにやってきたか・・・」とモノローグで問いかけ「おろしてくれ」と一言。アンドレが、待っているのだよ・・・これは実際口にしたのかオスカルの心の中のセリフだったかはわからない。ロザリーに、自分とアンドレを同じ場所に、と頼む。「わたしたちはね・・・夫婦になったのだから・・・」ーー泣かないでロザリー、わたしは今こんなにも安らかだ、と。
「ベルばら史上永遠の1ページ」とわたしが勝手に呼んで憚らぬこの場面。「自己の真実のみに従い、一瞬たりとも悔いなく与えられた生をいきた。人間としてそれ以上のよろこびがあるだろうか」というオスカル様の独白。
そこへアランが「隊長!!バスティーユに白旗が!」オスカルはその目で見るのだ。「ついに・・・陥ちたか・・・」原作オスカルはこれを見届けずして死ねなかったんである。彼女が死すのは「自由・平等・友愛・・・この崇高なる理想の、永遠に人類のかたき礎とならんことを・・・」信じてであり、ゆえに絶命のセリフは「フ・・ランス・・・ばんざ・・い」である。彼女のこの世の生は最後の一瞬までフランスに尽くし、未来に捧げた勇敢なものだった。この両者の大きすぎる違いを再度おさらいしておく。
 
アニメ版ーー「フランス万歳」は以前、オスカルが追い詰めたテロリスト側(革命家)の最後のセリフとして使われた。そしてアニメオスカルはその戦いの結果を見ることなく、志半ばでこの世に「アデュー」という永遠の別れを告げ、静かに表舞台から消えて行くだけ。民衆側の、名もなき一人として。歴史に名を刻むこともなく、音も立てずにひそやかに。
原作ーー「フランス万歳」に集約されるように、フランスの未来のため、崇高な(革命の)理念に殉じた。
 
と言ってしまえば大雑把すぎるだろうか。最初にアニメを見たときは「ヅカばらですらこの聖なるラストシーンを忠実に踏襲したにもかかわらず、アニメ版ったらあのセリフを剥奪しなんたることを・・・!」と憤っていたが、今こうして40話を振り返ってみて、アニメオスカルはこれしかなかった、と思われる幕のおろし方であり、アデューは私の中にストン、と落ちた。アニメ版の本当に伝えたかったメッセージが、ここに集約されたのをはっきりと聞いた気がした。
 
さてここまでで7分48秒。残り16分をどうやって見せるのか??オスカル様死後一気に5年の歳月が流れている。ここから先は「完全アニメオリジナル脚本」となり賛否分かれるところ。特にアニメ版が好きか嫌いか、といった議論での大きな焦点の一つにもなっている。特にアランのその後の設定については、当の原作者ですら困惑したという話。確かにびっくりの結末。
 
7分55秒。花咲き乱れる野原、青い海。なんとアランが農夫になっているではないか!ナレーション「本当の意味での革命はここから(バスティーユ後から)始まったのである。すなわち新しい社会制度の確立であり、今までの権力者に対する勝利者たちの裁きであったーー」
そこへ、一台の馬車が到着。「おいアラン!アラン班長!」ベルナールが妻ロザリーを連れてやってくる。ロザリーは服装も変わって、すっかり落ち着いた夫人となっているよう。「しばらくだな」「しばらくなんてもんじゃない、バスティーユからもう5年だ。探したよ随分・・・なんだってバスティーユの陥ちた後、黙って消えたんだ」アラン、人生の折にふれ、失踪癖があるのよね。妹ディアンヌが死んだあとも半年間帰ってこなかったし・・・さすがに特別な親友と、上司でもあり、尊敬する人間でもあり、そして女でもあったこのベストカップルを同時に失ったアランの哀しみといったら、もう二度と剣は持つまいとの決意をさせるには十分すぎただろう。また彼には革命のその後が見えていたのだろう。オスカルとアンドレ亡き今、戦い続けることの無意味さに嫌気がさして、というよりアランの中の何かも、またバスティーユとともに死んだ(燃え尽きた)んだと思う。「ここにはお袋と妹の墓があってな・・・前々からここで百姓をするつもりだったんだ・・・」「そっくりだ。オスカルとアンドレの墓も、ああしてアラスの小高い丘に並んで立っている」良かった・・・二人はもう、誰にも邪魔されずに、肩を並べて美しい朝日を眺めているのか。(ファンたるもの、いつかアラス詣でに行かねば!!)
「考えようによっちゃ、幸せな二人だったな。革命の辿ったその後の醜さを知らずに死んだのだから」ここからはアランとベルナールの対話という形式を借りて、視聴者に「その後」が駆け足で語られます。
 
1789年10月1日。女を筆頭に、6000人以上の集団が武器を持ってアントワネットのいるベルサイユを襲った。(フランスの女って怖いのねーー)200年続いたブルボン王朝の最後の王妃アントワネット、ついに民衆に深々と頭を垂れる・・・
っていうけどさ。画面では銃を構えて引き金を引こうとしていた男すらいるのに、何だって「人々は沈黙した。革命の勝利の確信とは別に、頭を下げてさえ王妃たらんとするアントワネットの威厳に人々は打たれたのである」ーーーって、フランス市民諸君、君たちはロマンチストだな。甘いよ(笑)。
そんなことで情に流されてどーする??なんのために君たちは武器を手に、パリからはるばる20キロ、雨の中を歩いてきたのだ?国王一家に逃げ道はなく「サンジュストやれ」と仰ってくれれば、余裕で一家虐殺できた最高のチャンスだったのにーーそれをみすみす逃すなんて、何やってんの?あーーー・・・これだからもう、バカな民衆ってほんと嫌・・・。そんなんだから、この期に及んで王妃だって「わたくしは
認めない、革命など、絶対に!」とかぬかすんです。
《教訓》革命・政治に「情」は禁物。ほだされたほうの負け。
 
12分16秒。北欧スウェーデンのハンス・フォン・フェルゼン邸。おおっと、世紀の色男がくいっとワインを空ける横顔が素敵。(全フェルゼン場面の中で3本の指に入るかも、のイケメン画では)が・・・その後が・・・。「オスカル、今は亡き心の友よ、私に勇気を!」君のあのペガサスの如き白き翼をこのフェルゼンに・・・って、死んでなお《困った時のオスカル様頼み》の傾向は、変わっていない様子。
 
「今」と「解説(回想)」が交互するのですが、ベルナールのセリフにバトンタッチされた後、アランってばトウモロコシをかじってるよーーーな、なんかほんとに「ひとりもんの農夫」感丸出しで、くうっ・・・。
 
フェルゼン「共に死ぬために戻って参りました」のセリフは原作・ヅカ・アニメと健在でした。あーあ。考えようによっちゃ、この二人も幸せもんだわ。1791年6月20日の夜。有名な「ヴァレンヌ逃亡事件」。ボンディーに到着したところで、国王はフェル伯に別れを告げる。確かに、フェルゼンの命がけの行為に感謝はしても、最後まで妻の愛人の世話になりたかないわね。
「ではどうかご無事で・・・ご成功を心より祈ります・・・やっ!」と駆け出す涙の止め絵、フェルゼン。逃亡は見事失敗、3日をかけてパリまで民衆の罵声にさらされながら戻るはめになる。その恐怖は、アントワネットのブロンドの髪を老婆のような白髪に変えてしまった。これで僅かながらに残っていた民衆の王室への思いは消え、はっきりと制裁を要求し始めることになる。1792年7月、国王一家はチュイルリー宮からタンプル塔へ。9月、国民議会に変わって国民公会、フランスは王政を廃止、共和制を宣言した。
 
やったー!!ピカルディー州代表議員、フロレル・ド・サン・ジュスト君。久々の登場でございます。やっぱりバスティーユの時は故郷へ帰っていたのですね(笑)「王の存在それ自体が既に許すことのできない罪を犯したことになる!王は罪の本体である!」あの狂気がかった、ぜんぜんシンメトリーじゃない目、議員になっても健在です。その後のロベピ師匠の演説の方が論旨にまとまりないんですが。361対360。わずか1票差という劇的な決定で・・・1793年1月21日朝、国王処刑。
 
19分11秒。アントワネットは子供と引き離される。(のちにこの子が「貴族のやつらをしばり首♪」と歌うのね)「あなたたちも人の子の父親でしょう!?」「そうとも、わしらにも息子が居たさ。そしてわしらの息子に飲ませてやるミルクもなく、栄養失調でただ死んでゆくのを見るしかなかった時、あんたは贅沢なものを食らい、宝石を身に付けてベルサイユで笑っていたんだ!」
 
19分47秒、ロザリーの語りが始まる。これくらいの歳の婦人であればロザリー役の声も落ち着いていていいのだけれど、何せ今までが老けすぎの感があったんで・・・
「おいもうよそうぜ、王妃がどうなったかなんて俺には興味ねえ」そんな話をしに来たのかと言うアランに「いやあそうじゃない。君にオスカルとアンドレのことを聞きたくて来たんだ。実は《フランス革命小史》という本を書いている。その本で、ぜひ二人のことに触れたいんだ。少なくとも君は二人を知っている一人だ」「じゃあ尚更だ、死刑になるアントワネットの話なんか関係ねえよ」
しかしそれが、関係があるのだといい、ロザリーは話を続ける。彼女は王妃がコンシェルジュリーへ移されたあとの世話係をしていた。そしてオスカルと共にいた少女だったとわかると王妃はオスカルの話をしてくれるようせがむ。「こころが休まります、オスカルに想いを馳せると・・・」1793年10月16日、アントワネット処刑。国王に遅れること9ヶ月。バスティーユから4年も生きていたのか・・・。最後の朝、独房の中にあった化粧紙で、オスカルに想いを馳せて作った白ばらの造花・・・。
「ロザリーさん、このバラに色をつけてくださいな。オスカルの好きだった色を・・・」
ロザリーはオスカルが「どんな色のバラが好きだったかなんて、聞いたことなかったんです」と涙をこぼす。しかしアランは「オスカルは知らねえが(もう《隊長》とは呼ばない。彼の中では5年の歳月を経て一人の《オスカル》という人間に変わっていたのだろう)・・・アンドレならきっと、白が好きだっていうぜ」うおおおお。なーんと臭く、男っぷり満載のセリフなんでしょ。親友アンドレならオスカルのことを、きっと何ものにも染まらない白だというに違いない。男同士の絆が言わせた言葉には確かな自信が感じられる。そして、そのアンドレをこころから愛したオスカルもまた、アンドレがそうだというのなら、それでいい、と思うに違いない、と言っているのである。
 
「じゃあ、このままでいいんですね」「ああそれがいい」
それからしばらくして、ロベスピエールサンジュストも政権争いに敗れ処刑された。(これなかなか複雑ですよね。どうして革命した側の人が処刑されるの?ってナゾに思う人も多いだろうし)。
そしてさらに10年余・・・フェルゼンは民衆を憎む心冷たい権力者になって、民衆の手により虐殺されたという・・・・でFin。
ちなみに原作によると、フェルゼンの命日は奇しくも6月20日、生涯自らの罪の日として呪い続けたヴァレンヌ逃亡の日だったのですね。
原作では民衆に殺されたフェルゼンがうつむきに倒れている姿、そして歴史に翻弄された、別々の国に生まれた3人の登場人物たち、アントワネット、フェルゼン、オスカルの誕生日が今一度語られ、幕となっていましたよね。
アニメ版では、白ばらという最強のご都合小道具さえひねり出し、風光明媚なシーンで終わっているので、一応は爽やかな印象が残るよう配慮されていますが、なんだかなーーー、この胸にぽっかりと空いたとんでもなく空虚な感じ。。。。。
 
アニメ版ベルサイユのばらって、男視点、男視点、と騒がれているけれど、一応アランが後半では出崎監督自身を物語中で担っていたという見方もできるわけで。さらにベルナールのセリフによれば、もしかしたら、アランによって語られ、ベルナールが書いたフランス革命小史=「アニばら」だったのかな、とも取れる。(筆者が「黒い騎士」で作中に登場するのはまずいか・笑)
 
10代の後半に出会った原作「ベルサイユのばら」をもう一度読んでみたくなり、20年後(まさかフランスに居るとは予想だにしなかった)この歳になって初めて「アニメ版ベルサイユのばら」を仏語字幕で見た自分。震えるような感動ーーーというものはなくて、代わりに物凄い空虚感だけが「ああ、胸の中を吹き抜けてゆく・・・」。
一つだけわかるのは、もっと早く出会っていたかった、と。人格形成に大きな影響を与える思春期の頃にこのアニばらに出会っていれば、オスカルの生き様を知っていれば、おそらく自分は、今とは全く違う道を歩んでいた。
・・・全ては、遅すぎたのだろうか?
そんな胸を掻きむしるような思いから始めた「べるばら.com」日本語アニばら編。やっと最終回までたどり着いたのにその答えはさらに遠くにある気がする。
2016年2月19日から同3月10日までの20日間に渡って、全40話の感想をアップし続けた日々にもようやくピリオドだ。どっぷりベルばらに浸かりきっていた日々(寝てもさめてもオスカル)からまずは1日も早く社会復帰しなくては(笑)という思いと、さらに仏語版吹き替え版をベースにして再度全話を見直し、スクリプトを書き写す、という新たなプロジェクトもあって。取り掛かってしまえばかなりマニア危険区域に足を踏み込むことになりますし・・・(笑)しばらくは今の放心状態続く。
 
そうそう忘れずに。この最終話にもちゃんと「予告編」がついていて、第41話として総集編「ベルサイユのばらと女たち」お楽しみに、とのこと。こちらはオスカル様が死なないので、少しは「楽しみ」にできるわ・・・主に物語前半に登場した女たちを中心にしたあらすじ紹介的なもので、当ブログでは総集編、また映画版についても今の所、取り扱い予定なしです。
ひとまず一旦、日本語アニばら編は、ここで区切りとなります。おつきあいいただいた皆様、ありがとうございました。