Chose de parler de la danse ダンスについて語ること

Autoportrait de l'auteur en danse :パリ、ダンス、言葉の敷石を踏みしめて

アニばら第39話あの微笑はもう還らない!  Son sourire ne reviendra jamais

f:id:kotorio:20170809024924j:plain

英語版タイトルは「His smile is forever gone!」です。永遠にいってしまった、ですね。仏語は「二度と(決して)かえってこない」という表現になっています。

 
37話、38話で、文章的には早くも燃え尽きた感のある当ブログ・・・。お前が耐えた苦しみなら私も耐えてみせようーーー最終話までモチベーションを上げて突っ走りたいと思います。
 
opあと、重傷のアンドレをのせたアランの馬を守りながら、オスカル率いる衛兵隊員たちは敵の砲弾の中を突破していきます。オスカル様、もうアンドレを助けるために、何も怖いものなんかなかったと。(ナレーションが言っています)
広場へは、一行はとても静かに到着するんですよね。アンドレをあまり動かさないためだったのかもしれませんが。「ベルナール、すまないが急いで医者を・・・」オスカル様もアランも隊員たちも、もはや彼が手遅れであることは承知。「医学の心得のあるものは名乗り出てくれ!」との(「医者は」と言っていないところがいいですね。このご時世ですからもぐりの医者もそれなりに居たのかと)ベルナールの呼びかけに、10人以上が手を上げます。
なっ、なんでベッドが??ああ、バリケードの大道具の中から誰かが急いで拾ってきたのか・・・それにしてもちょっとびっくりというかやりすぎというか(笑)
「陽が、陽が沈むんだ、オスカル」「うん今日の戦いは終わった。もう銃声一つしないだろう・・・?」
このオスカル様の台詞回し、特に後半の「しないだろう?」が優しくて、女性らしくて、とっても泣けるのです。
「鳩が、寝ぐらに帰って行く、羽音がする・・・」アンドレ、もう見えていないんですよね。最後の感覚を振り絞って、聞こえたもの、触れたものだけが描写されます。オスカル様が、アンドレの伸ばした手を両手で握り、その上にぽとぽとと涙を落とします。
「オスカル、何を泣いている?」「アンドレ、式を挙げてほしい・・・この戦いが終わったら、私を連れて地方へ行って、どこか田舎の小さな教会を見つけて、そして結婚式を挙げてほしい。そして神の前で、私を妻にすると誓ってほしい・・・」オスカル様、「お願い」をしています。原作でもヅカばらでも、「アンドレ、この戦いが終わったら結婚式だ」と断定、または命令、であったのに。オスカル様自ら、夫に「〜して欲しい」と頭を下げているのである。
「もちろんだよ、そうするつもりだよ、オスカル・・・でもオスカル、何を泣く、何故泣くんだ?」
で、思いっきり泣かせてるのに、後のこのセリフ「俺は、ダメなのか」は、言わせないほうがよかったと私は思っている。
「何をばかなことをアンドレ」「そうだ、そんなはずはない。全てはこれから始まるんだから。俺とお前の愛も、新しい時代の夜明けも・・・全てはこれからなんだ。こんな時に俺が死ねるはずがない・・・死んでたまるか」これがアンドレの最期の言葉になります。
 
原作アンドレは、オスカルをかばうようにして敵の弾を受け、最期の瞬間にあたっては、オスカルに水を頼み、その間に息を引き取ります。死に目に立ち会えなかったオスカル様が可愛そうすぎて、せめて愛する人の腕の中で死なせてあげれば、それぐらいしてくれよぉぉぉと原作者を恨んだものですが、今考えてみれば、これ、アンドレの、最期までオスカルを思う優しさだったんですよね。愛する人だからこそ、自分が逝く瞬間を見せまいとした。
(ちなみにヅカばらは「オスカル、い、命だけ・・・命だけは・・・♪ブロンドの 髪 ひるがえしー」=なかなか死なないアンドレ)
でもアニメアンドレは、死にたくなかったんです。「死んでたまるか」だったんですよ。だってオスカルひとり置いて、自分だけ逝けやしない。さぞ無念だったろう、悔しかったろう。残った、もう既に見えていない右目を見開いたまま、死ぬんです。
その右目から一滴の涙が流れ、彼の絶命は視聴者には音楽で告知するのですが、気づかないオスカル様は、既に息途絶えたアンドレに向かって語り続ける。
「いつかアラスに行った時に見た、あの日の出をもう一度見よう、アンドレ、あのすばらしかった朝日を。ふたりで。ふたりで、生まれて来て、出会って、そして生きて・・・本当によかったと思いながら・・・」答えのないアンドレに、オスカル様「アンドレ?アンドレ?」
呆然と立ち上がり、魂が抜けたようになっているオスカル様の後ろに、流れ星がひとつ・・・ふたつ・・・みっつ・・・。
「アンドレ!!!・・・私を置いていくのか??ああ・・・アンドレ・・・」の絶叫は、見ている者のほうが悲痛で耐え切れません。
 
広場近くの教会に、多の兵士たちとともに安置されたアンドレの遺体。
8分27秒。野営をしながらの衛兵隊員、「そういやアンドレの奴、俺たちとは一度もカードをしなかったな・・・」「ああ、どこかこう、変わってたな・・・」ぶっきらぼうな彼らなりに、アンドレの死を心から悼んでいる。アラン、カードの誘いを断り、隊長どうしてる?まだ教会の前か?と、気にしています。
8分57秒。教会前にひとり座り込んでいるオスカルの後ろから、アランがマントを羽織らせてやります。このシーン、すごくアランが優しく、男前に見える。うるうる。何度見ても、アランの大きな「愛」を感じる場面です。
「安っぽい慰めはいいたかねえが、アンドレは幸せもんだよ。あんたへの思いが一応は通じたんだからよ。・・・元気出せや」なんてアランらしい、アランにしか言えないセリフかと思ってしまう。しかしオスカル様、今はその言葉を受けとめるだけの余裕も、立ち上がる気力さえない。「明日からの指揮はお前に頼む。私は、私はもうみんなを引っ張っていけそうにない」アランの背中に向かって頼みます。
アラン、振り返らず言うのです。しかも「隊長」ではなく「やめなよ、オスカル」と。
「そんなこと言い出したらきりがねえ・・・あんたの深い苦しみとは比べようもねえだろうが・・・奴が逝っちまって傷ついているのはあんただけじゃねえ」アラン、涙を流します。もちろんオスカル様には見えませんが。「朝にはみんなの前に顔を出してくれや。《全てはこれから》(→アンドレのセリフ)なんだからよ・・・」
アランが行ってしまったあと、オスカル様、吐血します。白馬に乗って、夢か現かといった様子で、夜の街をあてもなく走ります。アンドレを想いながら。橋の上で、見張りの敵方の兵隊たちに見つかり、愛馬は撃たれてしまいます。3人の兵士に囲まれたオスカル様・・・敵はオスカル様が尋常な様子ではないことに驚きます。涙を流しているのです。
3人を振り切りながら、オスカル様の胸の中の語りが続きます。
「愛していました、アンドレ・・・おそらく、ずうっと以前から・・・気づくのが遅すぎたのです。もっと早く、あなたを愛している自分に気がついていれば、二人はもっと素晴らしい日々を送れたにちがいない。あまりに静かに、あまりに優しくあなたが私のそばにいたものだから、私はその愛に気づかなかったのです。アンドレ・・・許して欲しい・・・愛は、裏切るより愛に気づかぬほうが、ずっと罪深い」
原作では7月12日、出動命令のあと「今宵一夜」の前にオスカルは「よかった・・・気づくのが遅すぎなくて・・・」と言っているのだけれど、アニメ版では逆です。遅すぎたと、もっと早くに気づいていればと、深く後悔し、自分を責め抜くのです。愛に気づかなかった自分の罪深さをここまで責めるのも、かつてフェルゼンへ向けた愛の経験があったから、とも言える。全て手遅れだったと、許してくれと亡きアンドレに語り続ける。
それにしてもこの時、敵方の兵士3人もいて、銃も持っていて、なーんで弱り切った獲物を捕り逃しちゃったんでしょうか??これは私の勝手な、というか都合のいい妄想なのだけれど、彼らってオスカル様が謀反を起こした「女」隊長であることを知っていますよね。その女の涙を見てしまった兵士たちの、小さな動揺ではないかと。もっと言ってしまえば、一人闇へ駆けてゆくオスカル様の背中に異様なものを感じ、彼らはわざと銃の狙いを外したのか?あるいは撃てなかったのか、という気さえするのです。
 
「アンドレ、答えてほしい・・・もはや、全ては終わったのだろうか・・・」
13分32秒、アランはオスカルは必ず朝までに帰ってくると信じている。雨降りしきる中、あてもなく街を彷徨うオスカル様の前に、20話からストーリーを引っ張ってきたこの人もまた、静かに息子の手によってセーヌに葬られる。吟遊詩人は生前の願い通り、歌い続けたセーヌの流れとなり、息子がその志を受け継ぎます。まだ少年の彼が奏でる鎮魂の歌が、オスカルの胸に、夜の闇に響きます・・・。
 
14分47秒、「まもなく7月14日の夜が明ける」。ベルナールを中心として市民側の寝ずの作戦会議が続いています。呼ばれてやってきたアランに、ベルナールは片手を上げ「君を待っていた」と迎える。なんかいいな、男同士のこういうやり取り。これまで接点がなかった二人だけれど、ベルナールがアランの名を呼んだのがすごくいい。衛兵隊代表として話を聞いて欲しい、というベルナールに「俺は代表じゃねえ、隊長が都合悪いんでな、代理で来ただけだ」なんていかにもアランっぽいセリフ。ベルナールは「夜明けとともにバスティーユをやる」計画を説明します。「実はバスティーユに大量の火薬と砲弾が運び込まれるのを見たものがいます」から始まるベルナールのセリフは、遅れてやってきたアランに対して語られるものだけれど、あくまで敬語で、非常にベルナールらしい。大砲の向きがパリ市内に変えられたーーつまり、国王が民衆に向けて大砲を打ち込む、ついに市民に戦争をしかけたと解釈すべきだという。「バスティーユを落とせ」・・・バスティーユというのはフランス王政のもうひとつの悪名高き象徴で、おもに政治犯、思想犯の獄舎であった(自由を閉じ込めた場所)のですね。
ーーーその頃オスカル様、雨に打たれ、激しく咳き込みながら、地面に倒れ込んでいます・・・
(この時点で、私なんか「こりゃ敵に撃たれなくても、肺炎併発して2、3日後に死ぬだろうな〜」なんて考えているのですが)
 
16分41秒、7月14日の幕が開けようとしていた・・・画面右手前にはノートルダムガーゴイルがパリを見つめる姿、その奥に朝の光が登り市内を照らすシーンの美しさ、完成度の高さと言ったら。これがまさか70年代の日本で作られたアニメとは、到底信じられない。
律儀にベルナール、実行前に師匠にその旨報告に行きますが、ロベスピエール「そんな指令をした覚えはない」と一喝。しかし実際に現場に混じり、市民のうねりを肌で感じ、各方面と夜通し連絡を取り合っていたベルナールこそ、この一連の流れがどこに向かうかを冷静に見ることのできた唯一の人物といえよう。「バスティーユは私の筋書きにない!!」と憤るロベピに「先生!お言葉を返すようですが、革命は筋書きではありません」ときっぱり。仏語版ではこの時の「先生!」は「Maître」、きちんとした敬称の「師匠」にあたる呼びかけを使っています。サンジュスト君みたいにタメ語の「tu」で話すのとは全く対照的ですよね。それにしても彼(サンジュスト)はどこで何をしている?原作みたいにとっとと故郷(くに)へ帰ったのか?
ロベピのほうに脂汗が滲んでいます。「セーヌの流れのごとく(革命は)大衆の心のままに進み、行われるものと私は信じます」
頭のいいロベピ大先生ですから、「一応ご報告にと思ったのですが、来なけりゃよかった。失礼します。行きます」の言葉に慌てて(彼が絶対的優勢であることに気づいて)「よろしい、バスティーユ攻撃を認めよう」なんて許可していますが、既にベルナールたちはその声に背を向け、振り返らずに出て行きます。ついに革命家三王、袂を分かったわけですね。負け犬の遠吠えよろしくロベピ「だが忘れるな!
リーダーなくして革命は成功しないぞ!」と付け加えますが、ベルナールにしてみれば、その「リーダー」こそが、名もなき市民一人一人である、という今回の革命の本質と、時代の流れを見抜いていたと言えましょう。
 
17分41秒、改めてナレーションで解説が入ります。バスティーユ攻撃が名高いのは、それが民衆の初めての意思統一による行為だから。つまりこのバスティーユ攻撃が、ロベピなど革命家エリートたちによる先導ではなく、こころから新しい時代を求めた名もない市民たちの、自発発生的な団結による行動であったことに大きな意味があったーーーとのこと。
7月14日。(仏語で「キャトーズ・ジュイエ」と固有名詞の如く扱われるのに驚いた)真の意味での革命が始まった日。
市民はアンヴァリッドの武器庫を襲い、武器と大砲を手に入れその足でバスティーユに向かいます。
 
18分39秒。オスカル様、陽の差し込まない薄暗い路地に倒れていました。市民たちの「バスティーユへ!」の声と足音で目を覚まします。
そこへアンドレが迎えに来ます。「オスカル、どうした。こんなところで何をしている。市民はバスティーユへ向かった。誰もが銃を取り戦うためにバスティーユへ向かった。でも君が率いる衛兵隊の連中は、まだ広場にいる・・・広場で、隊長を信じて待っている・・・」
迎えに来たのは、アランでした。「隊長、あんたと共に戦おうと、みんなはあんたの帰りを待っている・・・」
きっと朝になっても姿が見えないのを心配して、探しに来たのだと思う。
マントを返したオスカル様・・・寒いんだ。一人きり、置いてきぼりになった底なしの寒さの中に放り込まれて。
「いつまでも、みんなを待たせてはいけないな」というセリフさえ、ありもしない気力を振り絞ってつぶやいている。
「アラン、もう一度だけ・・・これで最後だ、泣いてもいいか」ここ、畳み掛けるように言いますね。
「ああ。いいぜ。思いっきりな」アランの胸に飛びつくようにして、オスカル様、声をあげて泣きます。アランの右手が、優しくオスカル様の髪に触れ、たぶんちょっとだけ、抱き寄せてあげたかな、と思う。
・・・ああ、アラン。あなたがオスカル様を迎えに来てくれて良かった。ありがとう。オスカル様をその胸で泣かせてくれて、ありがとう。ここは視聴者も一緒に思いっきり涙するのです。
 
13時。バスティーユはベルナールたちの予想通り、市民に向けて大砲が炸裂。バスティーユ側はド・ローネー公爵と114人の兵士のみだったが、大砲の威力の前に、市民側はひとたまりもない。彼らだって12本の大砲をゲットしてきたというのに、「誰も使い方を知ってる奴がいねえんですよ!」言葉を失うベルナールの前に「すまない、遅くなった」オスカル様率いる衛兵隊員が到着。「大砲のことは我々が引き受けよう」
 
21分02秒、キターーーーーー!!キタキター!!!屈指のBGM、この日この場面のためにのみ作られたかと思うほどの「戦いのテーマ」(注・いつものことながら、勝手に命名)本場面です・・・っ!!
「ようし、全員配置につけ!攻撃、準備!」のオスカル様は、もうこれまでで最も凛々しく、雄々しく、そして神がかった感すらある、堂々たる「隊長」です。そして次のセリフがたまりません。アニメ版オリジナルです。オスカル様、剣を抜いて高らかに掲げた後「発射角、45度、狙いは城壁上部!!・・・・・撃てーーーー!!!」
ぎゃーー・・・・!!もうこれを聞いただけで萌え倒れそうになってしまった私って、軍事フェチ(笑)?もうゾクゾク致しました。
 
ふと思ったんですけれど、この時のオスカル様って、もう(たぶん12日ぐらいからは寝てないし、昨夜もあんなで野垂れ死に寸前みたいな)ほとんど、ないはずの気力を奇跡的に絞り出して、ってか命削って、自分ではそのことに気づきもしないぐらいもう意識は猛烈に「前へ」の一言なんですよ。さっきアランの胸で泣き切って、スイッチを切り替えたのだと思う。みんなの前にはもちろん「待たせてすまなかった」とかって、凛々しい隊長顔でお戻りになって。そしてただ「前へ」、自分たちの為すべきことをなすために、という、それ以外のなんの感情もなかったと思うんです。「前へ」というのがどうも適切でなさそうなら「行け」「立て」「やるのだ」しか彼女の頭の中に、なかった気がするんです。
 
バスティーユ側、ド・ローネー公爵のもとに「市民側が砲撃を始めた、しかもかなり正確でこのままではやられる」という報告が入る。ーーーよし、狙いをあの指揮官に絞れ。一斉にだ!
城壁内のすべての窓から、すべての配置から、おびただしい数の銃はただ一人、オスカルだけに狙いを定めます・・・・
 
オスカル様、一瞬ふと、空を見上げますよね。雲の隙間を行く白い鳩に目が止まります。
出崎監督が「最後にオスカルに、何か清々しいものを見せてやりたかった」と解説しているのを読んだか、聞いたことがあります。
「何か清々しいもの」という言い方が凄く胸に残って、忘れられなくて。よく人はあの鳩はアンドレだというのだけれど、この監督の発言を知って、そう思えなくなった。その根拠の説明のしようもないのだが・・・やはりそれは「何か清々しいもの」としか言いようのない、オスカルにとっての、この世の最後に見た「美しいもの」だったんじゃないかと。
 
一瞬、時も音もすべて止まった沈黙の中で・・・ こ、これで「続く」か・・・。
 
さあ泣いても笑っても最後の予告編。「愛すること、誠実に生きることーーーその苦しみから解き放たれるオスカル。そして今、アンドレの待つ天国へ召され、再び光と影は一つになった。民衆の勝利の声を聞くこともなく・・・
最終回、ベルサイユのばら、さようなら我が愛しのオスカル、お楽しみに」
・・・って・・・完全に魂を抜かれ放心しきってる我々に、オスカルと共に撃たれたも同然の視聴者に「お楽しみに」ってアンタ・・・