Chose de parler de la danse ダンスについて語ること

Autoportrait de l'auteur en danse :パリ、ダンス、言葉の敷石を踏みしめて

アニばら第33話たそがれに弔鐘は鳴る Une cloche sonne au crépuscule

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英語版タイトルは「A funeral bell tolls in the twilight」です。ついにベルばらファンにとってのこの4つの数字が揃ってしまいました・・・

1789。つ、ついに来ちゃったよ1789年・・・という感じです。早い、早すぎる・・・。オスカル様の命尽きるまで、あと半年を切ったということなのです。オスカル様、32歳〜33歳。ここからは史実に沿って、出来事の月日を細かくおっていくことになります。
 
「なんでセーヌは濁っちまったんだ、花のParisはどこへ行った・・・」花のパリ(=華やかで栄えていることの例え)という言い方は実際いつ頃から使われだしたのでしょうか?吟遊詩人のおっさん、のっけから弔鐘オーラ全開です。つーかこの人の存在自体、時代の鎮魂歌なんですがね。
1788年冬、王室には4億2千万リーブルの借金があったわけで。三部会開催を説得したのは平民たちの政治参加を促すためでなく、自分たちに権力を向けようとした貴族たちの造反が発端だった。それぞれの階級で、それぞれの思惑が交錯し、今にもどろどろとした膿が溢れ出そうな今日この頃。ああ、ルイ16世が、錠前と狩りなんかしてる暇があったら、せめて死にもの狂いで財政、外交、軍事、法律から国内政治と、学んで欲しかった。学問として、身につけることはいくらだってあったはずなのに。。。
王妃は「何かをした」(ドレスを買い、贅沢にふけり、個人の楽しみを追求した)ことが罪だったけれど、ルイの場合、「何もしなかった」ことが罪であったわけで。
 
珍しくパリの暮れに雪が降る。ちょうどオスカル様のお誕生日頃か。「人間は、生まれながらにして平等だ!」アンドレは民衆に混じって、ベルナールの演説を聞いている。終了後、ベルナールを呼び止めたアンドレ「素晴らしかったよ」と声をかける。この二人、会った瞬間に旧友みたいなんだが、大丈夫?わたしはベルナールびいきだからかなり多めに見ているけれど、「おめーアンドレの目のその後を知ってるかよ!右目まで失明しかけてんだよ。底知れない恐怖と戦ってるアンドレの気持ちがわかるかよ!自分だけ幸せになりやがって!つーか、おめー謝ったのかよ???」というベルばら最大の疑問がここに存在するわけですが・・・・ま、自分の目をこんなにしたという許せない気持ちが少しでもあれば、演説聞くわけも、声をかけるわけもないだろうし・・・そもそも逃がしてくれと言ったのはアンドレだったじゃん。すっかり本件に関しては白紙、ということになっているのかも。アンドレの懐の深さ(ある意味楽天家)に感謝しなけりゃいけない・・・。「君にあわせたい人がいる」・・・・ってロザリー!?それだけで「そうか、二人は結婚したのか、おめでとう!」って、アンドレ、人がいいにもほどがあるよ・・・まあそんなアンドレだからこそ、オスカル様は過去何度救われたかわからないんですけれど。
「オスカル様、お元気ですか?」「相変わらずばんばん頑張ってるよ」じゃねーだろ!!ロザリーよ、恩人に手紙なりなんなり、一言報告するのが礼儀ってもんじゃね???あんたが今あるのはオスカル様のおかげ。今日アンドレが行かなければ、一生黙っとるつもりだったんかい?!
「幸せそうだな、君たちは」「アンドレ、君も俺たちと一緒にやらないか」(そりゃ、オスカル様との別れ際、アンドレの方が「黒い騎士」らしい男だった、なんて太鼓判おされちゃね。アンドレの特定分野における手腕は自分より上らしいとの認識がベルナールには植えつけられている)俺は君が貴族の馬ていごときで満足してる男とは思えん」まあ、確かに。でなきゃこんなとこ来ないしね。でもね、その馬ていをクビになっちゃったのよ・・・色々深い事情があってね、俺、勝手に衛兵隊入っちゃったんだよ、だってオスカルを守れるのは俺だけなんだから・・・とまあこういう感じなんだけど、この二人(ベルナール&アンドレ)、世が世なら、本当にいい友達同士になれたと思うんです。性格的にもどこか似ている部分があり、合いそうな気がするんです。
「美味しい珈琲だ、つつましく、愛の味がする・・・・」アンドレ『ヌーベル・エロイーズ』の読みすぎでしょうか?文学センスに磨きがかかっちゃいました。ちなみにティーではないんですね。この当時フランスに珈琲があったのか調べてみたのですが、この100年ほど前、1669年にルイ14世に献上されたのをきっかけに上流階級で広まっていたそう。1686年には、今もパリにある最古のコーヒーショップ「カフェ・プロコープ」が開店、多くの文人、政治家の議論の舞台となりました。
「では何故私の演説を聞いた?」・・・腑に落ちないベルナール、そこへ三部会召集の布告の知らせが飛び込んでくる。
1789年1月、ルイ16世は正式に、5月1日に三部会を召集することを布告しました。
「もはや時代の趨勢(すうせい)は、ルイ16世にもとめようがなかったのである」ってちょっと難しくないかな?「流れ」ぐらいに言い換えたほうがよかったのでは。
 
7分28秒、ムードン城です。例によってフルネームと階級を名乗って(准将ね)オスカル様、アントワネットの火急の呼び出しに参上。ムードンはパリ南西部、16世紀に建てられた城で、現在も街のどころどころに城の遺構が残されているそう。今は郊外の落ち着いた高級住宅地となっています。で、王太子ジョセフくん7歳が、すでに脊椎カリエスの末期で、余命半年。しきりにオスカル様に会いたがっているのだそう。結核菌が脊髄へ感染した病気ですね。18世紀当時のフランスの医学では手の施しようがなかったのでしょう。馬に乗りたい、外に出たいというジョセフ、王妃は「構いませんオスカル、どうかこの子の願いを叶えてあげて・・」もうできること、叶えられる望みならなんでもしてやりたいという親の思いなのかもしれません。7歳当時といえばーーーオスカル様はすでにアンドレと出会っています。そして「男の子として」剣の稽古に励んでいた頃です。
オスカル様、はしゃぐ7歳君を馬に乗せて優しいお顔。・・・いつまでも、こうしていたい・・・と明らかに自分の余命の少ないことを知っているお子様の発言。三部会など政治の話を持ち出すあたり、父親より、母親より、はるかに聡明な子なのです。「その時は僕もベルサイユへ帰ります。やがて僕のおさめるはずのフランス・・・」「そうです、やがて殿下がルイ17世となられて・・・」とその時ジョゼフの目にはいっぱいの涙が。「あなたが好き」と言って突然キスをする。「今度生まれてきたら、きっと病気なんかしないで、元気で大きくなって、立派な青年になって・・・だから、その時まで・・・待って」。原作オスカル様はびっくりして目を見開いていますが、アニメオスカル様のこのシーン、顔色変えず冷静なまま。動きがない分、余計オスカル様のかなしみが「染み出して」いる感じかも。
 
10分25秒。教会で祈るアントワネット。それを見つめるフェルゼン。な、なにかdéjà vu感がありますが・・・そのフェルゼンの前を「失礼しますよ」と通り過ぎるルイ16世。・・・勝負・・・あり・・・のシーンだと思います。この時のフェルゼン、やたらカッコよくないですか?今まで女々しく泣くかお花畑か色男といった役柄だったので、こうして「言葉なし、黙って立ちすくむフェル伯」って、以外といい男なんだと今更思い知るわけですが・・・。さあ目の前の国王&アントワネット、燃える愛ではないけれど、子を思う気持ちで繋がる愛、家族としての愛、思いやりの愛。それらに偽りはありません。はかることのできぬものの前に、フェルゼン、今度こそ覚悟を決めたようです。今はもう、半年前のように駆け込むフランスで唯一にして最高の友人の家もありません。。。。
 
11分21秒。雨の中、半年ぶりにこの男が衛兵隊に帰ってきました。アランです。妹ディアンヌのあと、病弱だった母親も相次いで亡くし、「二人の墓を守りながら海のそばで暮らそうと」思っていたらしい。このセリフをうっかり聞き逃すと、最終回でとんでもないことになります。初回見た時はまさかそこまで予測できませんでした。
長雨が上がれば5月と言っているので今は4月ぐらい?オスカル様が衛兵隊に着任して1年が過ぎたのですね。「なあアンドレ、おめえの見えねえほうの目の分まで、俺が見てやるぜ」・・・。
 
12分、「オスカル、フェルゼン伯がスウェーデンへ帰国したそうだ」よろしくとの陸軍からの伝言が届いているとアンドレから聞かされるもどうもまともに聞いてないようなオスカル様。「アンドレ、明日から3部会特別警備に入るみんなに伝えておいてくれ」って、フェルゼンのこと、もしかしてもう頭にないのだろうか・・・と、このときアンドレの中に浮かんだかどうか。
 
12分35秒。1789年5月4日。サン・ルイ教会でのミサ。フランス第一連隊である衛兵隊とスイス近衛と言ってるけど、ジェロ様率いるフランス近衛は今どこで何をしているのだ??
ルイ・ジョセフのいるであろう窓を見て、オスカル、あのシーンが思い出される「あなたが、好き」は英語字幕でもちゃんとI love youになっていた。よかった。「ふふふ・・・アンドレ、私は王妃になり損なった・・・」このときのオスカル様・・・なんだかすごく素敵な、女性らしいお顔をしていると思いませんか?すごく肩のちからが抜けて。1年前、真剣に恋に恋して、女を否定していたオスカルでも、またその後「男に戻る」だなんて言って、女を押し殺してアンドレから逃げて「余裕がない」(byアラン)状態だったオスカルでも、どちらでも口にできなかったセリフだと思う。それが、歳月がそうさせたのか・・・今はオスカル様、すごく自然に、女である自分も、仕事をしている自分も、「受け入れる」状況になりつつあるのだと思う。このセリフ、アンドレには「???(ちんぷんかんぷん)」だけれど、オスカル様にとっては、(彼女が気付いているといないに関わらず)これを口にしたということ自体、既に彼女の中の何かが静かに去り、また新たな何かが静かに形成された、ひとつの成長とみていいのかな。
 
第3身分621名。ロベスピエール31歳というけれど、オスカル様より2、3歳下だったことになりますね。平民議員の中には貴族でありながら平民の指示を受けて平民代表として当選した議員もいたぐらいで、もはや時代は、貴族であることの特権など何もなかった、とナレーションがあります。
 
翌5月5日。三部会開会式。王妃のために拍手は上がらなかった。憎悪が王室でも、貴族でもなくアントワネットただ一人に向けられていると悟った・・・って、あんた、いまさら遅すぎるっつーの。
 
16分41秒。3部会は休みなしで続けられ一月、ということは1789年6月です。
オスカルが投げた空き瓶を取り損なうアンドレ。アランの機転でその場は取り繕いますが、ジャルジェ家でオスカル様「それより、もうひとつ心配事がある・・・」と視力検査。そりゃあ、あんだけ至近距離で光モン見せつけられたら、見えるでしょうねえ。1612年製のジャルジェ家に代々伝わる愛用ナイフだそうです。これ、出典を確かめようとしたんですが、それらしきものが見当たらない。少し遡ってルイ14世の頃には、護衛がパルチザンという短剣をもっていたらしいですが、デザインが凝っていてとても美しいです。
「やめろよ、悪い冗談は」と笑い飛ばすアンドレですが・・・そこへオスカル様の耳がノートルダムの鐘の音を捕らえます。
1789年6月2日、午後10時、危篤状態のジョセフのために、40時間の祈りが始まったのであるーーーというナレーションを聞きながら、国をあげて鐘をならし、祈りを捧げられる7歳の男子もいれば、わずか2、3歳で背中からビストルで貴族に撃たれ、未来を奪われた子供もいる。病になっても医者にもかかれず、泣く泣く死んだ者、貧しさの中で飢えに苦しみ命を落とした者、世を儚むあまり自ら命を絶った者すらいる。毎日数千と死んでゆく名もなき人々のために、鐘はならされることはないのである。同じ人間として生まれながら、命の重みに差はあるのかと。・・・そんなことを、ふと思う。
 
「三部会はあれているのですか。どうして議員たちは仲良く話し合う事ができないのですか」って、7歳当時のオスカル様なら言えたセリフかもしれませんが。死の間際にあって、このアホ親からどうしてかくも知性優れた子が育ったのか(だってポリニャック始め教育係だってあのメンツですよ?!)不思議でならない。あー、白馬に乗った王子様、オスカル様に憧れたからかもしれないなーと。
 
6月4日午前1時。7歳と8ヶ月の命を閉じる。お悔やみを言いに真夜中をムードン城へ向かって駆けるオスカル様。「三部会が揺れ、これからのフランスが行く道を、そして生き残った者、新しい時代に生きのびようとする者たちが取らねばならぬ道を・・・」見ないで済んだのがジョセフのせめてもの救いだったかもしれないというナレーション。
まさか、まさかその僅か一ヶ月と少し後に、オスカル様もジョゼフのところへ行くだなんて、、、、誰も、本人ですら、まだ予想できなかったはず。
 
余談だけれど、オスカル様はどうして自分が母でもなく、子もおらず、ましてや女であることをひたすら押し殺して生きてきたのに、ジョセフに対してあんな母より愛おしい目ができるのだろう。どうしてジョセフのために泣けるのだろう。
このつぶやきは全く個人的なものだがーーーー例えば私は独身であり、子供がいない。幼い頃からそれを決めてきた。予定通り、結婚適齢期はとうに過ぎており、このまま独り身を通すつもりでいる。だから、同年代の母親となった女たちを見ると自分とは全く別世界の生物だと思い、ましてや子供など近くで見るだけで宇宙人かと思う。海外に住んでいると、ベビーシッターなどかなりおいしいバイトなのだが、一時間以内にクビになることは火をみるより明らか、よって今まで経験した試しがない。つまり、自分が感じたことのないもの、与えられたことのないもの、経験していない物事に対して、、、早い話が愛情とはどのような感情が、よくわからないのだ。小さいもの、弱きものを愛おしいと思う気持ちのことだろうか?何かを守りたいと思う気持ちのことなんだろうか?ペットも飼っていなかったし・・・幼い頃から情操教育というものに欠けていたので、なぜオスカル様がそんなにも他人に、自分より弱きものに、愛しい眼差しを向けられるのかわからない。
これはむしろアンドレにも強く感じられること。小さい時に両親とも死に別れ、ばあやに育てられたからといって、さみしくなかったはずがあるまい。平民かつ従僕としての自分の立場。ーー愛情を無駄に振りまける奴というのは、湯水みたいにがんがん愛情をシャワーみたいに浴びてきた奴だと私は小さい頃からずっと思っていた。その泉が枯れることないと保証されており「有り余っているから与えられる」のだと。でもアンドレってその反対で、得られず、未経験だったはずの愛情を彼は一杯に溢れさせることができた。いったいどこから?黙って見守り続け「与える」役割に徹している。これはどういう現象なのであろう。そんなことが可能なのか??
 
オスカルもアンドレも死んだ歳をとっくに超えて、はじめて、原作でなく、アニばらを、舞台であるフランスで暮らしながら見て、
私にはなぜ今アニばらか、というパーソナルな疑問と向かわざるを得なくなっている。
ほんとうに、いまさら、どうしてアニばらなのか・・・この先物語がたどる運命と、私自身の生き方をも重ねて考えざるを得ない。
アニばらとは、人の思考も行動も、否応なしに再構成させる求心力があって。
人生のいつ、どの段階でめぐり逢うのかは人それぞれなのだけれど。このドラマが、半世紀近くも前に書かれ、未だにエネルギーを失っていないことに、私はほとんど脅威さえ感じる。
 
というわけで次回、予告編によると貴族と平民の間で、中間管理職のオスカル様の苦悩はますます深まるそうです。
歴史の教科書にもでてくる、あの有名な「テニスコートの誓い」マジ震えます。。。