Chose de parler de la danse ダンスについて語ること

Autoportrait de l'auteur en danse :パリ、ダンス、言葉の敷石を踏みしめて

アニばら第32話嵐のプレリュード Prélude à la tempête

f:id:kotorio:20170809024924j:plain

英語版タイトルは「The prelude to the storm」です。この回は細かいエピソードがちりばめられており、一話で凝縮させてしまったのが惜しいぐらい。もともと50話で脚本が用意されていたものの、事情で40回に短縮せざるを得なかったとか。そのため後半が駆け足になってしまったようです。前半。アントワネットの下らない意地の張り合いに3話分も使うぐらいなら、後半の各エピソードをもっとじっくり煮込むべきでした。

 
前回、大雨の中表へ引きずり出され、とんでもないシーンで終わった濡れ衣オスカル様vsアラン。「来なよ」「何を言っても無駄なようだ」怒り頂点に達している相手に、言葉で理解を求めようとしないオスカル様、さすがです。
オスカル様の身の軽さも、怒りで前後の見境なく、その上両刀使いで迫ってきた男の前ではあまりに非力。剣の技術もルールも無視して力のやり合いに持って行かれると、体格の差では歴然。歯をくいしばるオスカル様の前代未聞のシーンに対し、余裕のアラン。折れた剣は一体どちらーーー
 
opあと。もちろんアランの剣ですが。通常の紳士であれば、これをもって終了の合図。ところがこいつらにはそういう常識は通用しない。それどころか「彼らの常識」をもってして、男とはここからが勝負だとさらなる闘志をぶつけてきます。オスカル様、初めてこの男に手応えを感じます。「私に剣を折られてなお、余裕すらある」オスカル様を剣ではなく力で一撃食わせてやったアラン。そらルール違反だろーと画面にしがみつきたくなったところへ、アラン、負けの自己申告。けじめはけじめです。これも彼の美学のひとつ。
「負けてこんなこといいたかねえが、頼む」。たかだか銃をうったぐらいで銃殺になる男(ラサール)のことを考えてやってくれ、と。彼らにとってラサールとは我が身。サーベルも、軍服も売っている。出された食事を自分は食べずに面会日に家族に渡している。貴族のあんたに、俺たちの生きるための苦労が、わかるわけはねえだろよということ。「家族がいるんだよ。うちには飢えた弟や妹が待ってるんだよ。命がけて働いたって、家族を養えねえんだよ」そこんとこを、よぉぉく考えてよ、あんたら貴族の隊長ごっこってのをやってくんねえか。
・・・この言葉は視聴者にもぐっさり、剣より強く突き刺さる。オスカル様、これまで貴族という家柄に守られて、こんな本気の、ナマの言葉をぶつけられたことなんて一度もなかったはず。アラスでのロベスピエールの失言なんて、蚊のなく程度のもんですよ。
飾り人形で居続けることが嫌で抜け出した近衛。しかし衛兵隊にきてみたところで、結局はただ「隊長ごっこ」にやってきただけの人形と変わりはないことを思い知らされる。
 
おそらく翌朝一番で、オスカル様、ブイエ将軍に直訴に行ったのだろう。というより、昨夜アランがあんなことをしなくても、言わなくても、オスカル様は自分の考えで同じ行動をとったと思う。
 
ブイエ将軍が、正面切って「奴は釈放だ」と命令したか、「これは手違いであった、あの男は無実だ」としたかは分からないが、いずれにせよ、オスカル様には一度決まった決定を覆すだけの力(判断力・実行力)があった。こういうときに人脈の一つも使えないようでは何のための隊長か。その点、オスカル様にはあらゆる側面でのトップとしての資質が備わっていたわけだ。
 
6分23秒 「兄さ〜ん」と駆け寄るディアンヌちゃん。暴風ロザリーよりよっぽど春風でしょう。「今日は目がキラキラしてるぜ」なんてぶっとんだセリフも、この子の前でなら許せちゃう。実際、この男アラン、ディアンヌにとっては兄である以上に、一家の大黒柱、父親代わりに家計を支える、心やさしき「主」なのである。「結婚するの・・・」に続く二人の会話、周囲に聞こえているのかどーなのか、この世の終わりとばかりにあんぐり口をあけている野獣ども、もとい隊員どもよ・・・。去り際、ポッケに両手を突っ込んで、蹴飛ばす真似をしてみせるアランが、なんだか妙にいとおしくみえてしまう。
門をでたところで、春風ディアンヌちゃん、オスカル隊長とすれ違います。ここでのオスカル様は、ブイエ将軍との取引に手応えあり、といったところでしょうか、久しぶりに穏やかな顔をなさっています。そして、昨夜あんなことがあったなんて露ほども感じさせない眼差しで「《兄さんに》会えましたか?」とこちらから声をかけてやるのです。・・・オスカル様の、年下の者に対する優しさが・・・ウルウル。
あるいはディアンヌちゃんの今日のキラキラが、オスカル様にも感じられたのかもしれません。隊員のみならず、オスカル様もまた、
あの殺伐とした兵舎の中で、唯一、この二人の兄妹愛にあたたかいものを感じていたのだと思います。アランの昨夜の言葉にもあったけれど、ひとりひとりが皆、こうして大切な家族のいること、その隊員たちの命を預かっていることを、オスカル様は噛みしめていたんじゃないかと思う。ディアンヌちゃんから「オスカルとは神と剣(つるぎ)」とアランが話していたと聞かされ、そうか、と思うと同時に、走り去る彼女の後ろ姿に、同年代と思われるロザリーの姿を重ねていたのかもしれない。
 
8分39秒、ひとり窓の外の夕暮れを眺めるアランに陽気に近づくアンドレ。これって、二人が最初に会ったときの居酒屋シーンの「お返しバージョン」かなとおもう。あのときはアンドレがやけ酒あおってボロボロに打ちひしがれていたところへ「若けーの、腹ん中のもの出しちまえよ」と声をかけたアラン。性格のまったく異なる二人だけれど、男同士、それぞれのやり方で、弱っている相手に寄り添ってやる・・・。アニメアンドレが、オスカルの介入をまったく必要とせずに独自に切り開いた人間関係の一コマでもあります。「どうした?恋人よその男にとられたような顔して」(←ってか娘をヨメにやる父親のような顔、だったけど?実際一家の主だし)「その通りさ、正直なんとも言えねえ気持ちだ」《B中隊一のツワモノの泣き所》を見せたのも、アンドレだったからじゃないかな。と、そんな二人のこころ温まるシーンに、とんでもない情報が飛び込んでくる!!
 
9分14秒、あのラサールが、銃殺にならず憲兵隊から無罪放免!古今東西、こいつが初めての快挙だというではありませんか!涙うるうるで「手を回してくれたんっす、あの女隊長が」。・・・ってアンタ、かくなる上は「オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ様が」ぐらい言いなさいよ。一生頭が上がんないはずだぞ!
・・・・・。となれば。犯人扱いした上に一世一代の汚名着せの騒ぎを起こしてしまったことになるアラン!おめーが銃殺だっつーの。弁明の一言もしなかったオスカル様の、その名に恥じぬ神のような御心を思い知ったか!ただひとり、アンドレだけが最初から最後まで、オスカル様を信じ抜いていました。(ということがわかる、アランとアンドレの一瞬の目だけのやりとりのカットがありますね)
10分、司令官室へアラン入ります。ビジネスライクに「何の用だ」とオスカル様。そりゃね、あれから(昨夜の騒ぎ)喋ってないでしょうし。「ラサールが帰ってきた。ありがとう、すまなかった」アラン、これ以上の言葉はないかなとおもう。精一杯の御礼と、男らしいきぱりとした謝罪。「これで大っぴらに銃が売れる。俺が捕まった時も頼むぜ」。この「アラン語」を翻訳すると「おめえとはこれで名実ともにB中隊の仲間だ。隊長として認めたぜ」ということかと思われます。「何?」しか言わないクールなオスカル様も素敵ですが、出て行った後、口元がほんのすこし、シニカルに上向いたところをお見逃しなく。よね??
 
その晩はアンドレに「お前も正装して隊員代表としてついてきてくれ」ほー。アンドレ、お供解禁ですか!?ってか、これまで2ヶ月、アンドレを遠ざけていた状態自体にムリがあったんであって、オスカル様のほうがギブアップしたとも取れなくもないが・・・。やっと自然な二人のあるべき姿、所定位置に戻ろうとしてるところなんだけど、オスカル様、あくまで業務上の命令として。だからアンドレも「はいっ」を連発する隊員として。でもね、本音のところ、オスカル様は今宵、ちょっと嬉しかったんだと思う。着任から2ヶ月、毎日野獣たちを相手に誰にも理解されぬ、孤高の戦いを続けて、それでも、はじめて隊員のために何かができて、すったもんだの誤解もとけて、張り詰めていた気持ちがさすがのオスカル様でもふっと落ち着きを見せた、そんなところだったのだと思う。理由はなんでもいいから、すごく自然な気持ちでアンドレと一緒に居たかった、、、、んじゃないかなと思う。だって20年以上の二人の歴史の中で、こんなにも距離を置いていたことってはじめてのはず。どういう名前の感情であるかはともかくとして、何か今日のオスカルには、人肌恋しい気持ちがあったのかもしれない。
 
気分が良かったのはオスカル様だけではない。アランもアランで今夜はカードゲームに興じております。「貴族の馬車で?そいつぁ危ねえな」アランだけは、今の世相を見極めているようです。
この段階で、オスカル様の判断不足だと責めるのはあまりに酷すぎる気がします。まだ着任たったの2ヶ月、雑務含め想像以上のストレスの中、さすがに今のパリの現状を民衆目線で予測できるだけの材料は集めて居なかったでしょう。ましてや肩書きが近衛から衛兵隊になったぐらいで、まだ中身は「まんま貴族」のオスカル様であることに変わりはなく。彼女が本当に今の民衆を知り、これからの国の行く末を見つめるまでにはまだ少し時間が必要。ゆえに、ここではまだほんのさわりに過ぎず、「プレリュード」(前奏曲)なわけです。
12分、アランの予想は的中します。こんだけ大勢の人たち(のちの報告によれば200人)、夜な夜な貴族の馬車を襲うために集結、待機しているのでしょうか?もう少し生産性のある活動を試みたほうが・・・なんてのは、学を受けた者のえせインテリな発想でしかないのでしょうね。かつてロシア革命で指導者は言った。「バカな民衆ほど扱いやすいものはない」と・・・。
オスカル様「待て!アンドレは貴族ではない!」叫ぶそばから馬車は燃やされ、二人は離れ離れに。「その男には手を出すなーー」
オペラ座のブイエ将軍の元に、「サンタントワーヌ地区で暴動発生」の伝令が入ります。さて、余談ですがこのパリ東側に位置する「サンタントワーヌ地区」ご存知でしょうか?現在のパリ11区、監獄バスティーユとナシオンを結んだ大通りがサンタントワーヌ通りです。当時この周辺は貧しい人々の住む下層街とされており、特に家具職人が多く住んでいました。その他、大工、石工、機械工など「職人街」とされ、彼らを中心に武器をとり、絶対王政の象徴でもあったバスティーユを襲ったのです。その意味で、ここでオスカルたち「貴族の馬車が襲われた」ことは、やがて来る7月14日への序曲でもあったと言えるわけです。
さてブイエ将軍のお供である大佐、一個小隊を率いていたとか。さすがに将軍クラスともなれば、この物騒なパリでの外出などガードなしなどあり得ません。現に先日もテロリストに命を狙われたばかりですし。のんきにオペラ見物などしている場合かと思いますが。
伝令者の報告によると、襲われた馬車の紋章は《劍(つるぎ)を持った青獅子》ーーーー英語字幕が A blue lion, holding a sword となっており、それだけで何かのタイトルになりそうな気もします。フランス王家の紋章は、ご存知、百合の花。スウェーデン王家は3つの王冠に金獅子とこれが大変気品のあるデザインです。と、こんなところで紋章萌えしているとこの先の大事なシーンへ進めなくなります。
はい、この大佐のお顔が明らかになりました。陸軍警備隊、105小隊率いるフェルゼン伯、この紋章がジャルジェ家のものだという確信のもと、暴動鎮圧に向かいます。
現場は火の海、「暴民ども!!」のフェル伯のお声高らかに。この後、路地での名場面です。オスカル様と、こんな形で、約半年ぶりの再会です。(ダンスー1月ごろ?別れー2月ごろ。4月1日付けで衛兵隊へ、現在は6月ごろ)。そのオスカル様が口走ったセリフといえば・・・「アンドレが、私のアンドレが危ないんだ!!」ーーー「なに?君のアンドレ?」・・・フェルゼンははっとしますが、それ以上に今自分のセリフに衝撃を受けているのはオスカル様の方。フェル伯のほうは一瞬で全てを理解し「よし《君の》アンドレはわたしが必ず。君はここに居たまえ」と、再び暴動の最中へ駆け出して行きます。
とっ、ところで、皆さん「君はここに居たまえ」って誰かに言われたことありますか?「いろ」でも「いてください」でもなく「いたまへ」ですよ?!フェル伯、筋金入りの貴族なんだと思う。男の部下だったら「お前はここにいろ」で十分じゃないですか。これは少なくとも、《守るべき対象》に対する(男女問わず)男性側のジェントルな物言いだと思う。守る・・・というと語弊があるかもしれないけれど・・・フェルゼン、「そうか、君のアンドレ、か」それだけで十分。彼としては、彼女が自分に対して寄せてくれた以上の誠意を、変わらぬ友情を、身の危険を顧みずオスカルのため打って出たかったのだと思う。それは彼にとって、喜びだったと思う。半年前の二人のあの辛い別れを思えば、してやれる何かが自分でもある、こんな機会で訪れたことに、彼は感謝すらしたかもしれない。そんな男だ。
・・・ってわけで「君はここに居たまえ」。この私めを口説くなら、ぜひこのセリフでお願いします。。。。。
お前はどうでもいいからって、はい、オスカル様ですね。オスカル様は半年まえであればあれほど恋に焦がれた男に、ドレスなんか着なくたって、こんな至近距離でがっしとその両腕に掴まれているというのに、ちっともときめかないばかりか、まさか自分の口走ったセリフが・・・と、その場にへたり込んでしまいます。
そのころアンドレは手足縛られ、首吊りにされようとしています。一体どこからこんなセットが出てきたのでしょうか。さすが職人街です。必要な大道具はなんでも揃っています。民衆は一度思い込ませ、怒らせたら、限度なく、なんだってします。誰にも止められない「大衆」心理の怖さ。その「コツ」をうまく利用したちょっと頭の切れる人間が、その後、歴史を幾度となく塗り替え、世界を自分のものにしてきました。
空に向けて銃を放つハンス・アクセル・フォン・フェルゼン様のまあカッコイイことといったら!!これが数話前まで、アントワネットごときに涙しとど濡れ、木に、柱に、オスカル様にと寄りかかり幕っていた同一人物とは思えん。この人、造兵学を修めているんですよね。1751年にフランスでは王立軍事学校ができますが、当時軍事関係の学問でいえば、プロイセンが中心だったようです。兵器行政一般のみならず、おそらくフェルゼン伯クラスなら、軍事・戦略・戦術・統率、広く学び、修めていることと思います。オスカル同様、ラテン語もペラペラだったのではないでしょうか。
話を元に戻しますが、彼は我が名を名乗り、オスカル&アンドレとは反対方向に暴民を誘導します。
 
17分。ジャルジェ家。ばあやがお嬢様に熱いショコラをお持ちになります。紫陽花が咲いているということは梅雨の季節ーー6月頃かと思われますが、正直、パリで紫陽花ってあまり見かけないですし、日本のように梅雨らしい梅雨もないんですよね(笑)
ショコラを飲みながらのばあやとの短い会話も、こんな心休まるひとときって本当に久しぶりだったのではないでしょうか。オスカル様全身12箇所、アンドレはその3倍の36箇所の打撲傷とのことですが、いちいち数えたラソンヌ先生も大変だったでしょうね。まったく怪我の耐えないお得意様一家、ジャルジェ家です・・・。この人の生涯賃金はジャルジェ家でもっているようなもの。
「ばあや、ショコラ、美味しいよ、とっても」ってかけてあげる声も、オスカル様心からのものだったと思います。せっかくの久々の休暇も外は雨。主人公の心理模様です。・・・「離してくれ、わたしのアンドレが・・・!」のシーンを回想するオスカル様。そこへ昨夜のフェルゼンの無事を伝えにくるアンドレ。「どうだ、ショコラでも」うぉぉぉー、誘ったぁ・・・!にも関わらずアンドレ、この無様な格好でいたくはなかっただろうし、オスカル様を守れなかった上に、恋敵の再登板。まさか「わたしのアンドレ」なんて呼ばれてるとは露とも知らず、あーあ、またあいつがおいしいとこもってっちゃった・・・って勝手に複雑な気持ちに陥ってたんじゃないかと思います。オスカルの気持ちが今こんなだなんて、この時のアンドレには想像だにつかなかったでしょうね。
・・・民衆に追われたフェルゼンを、以前の私なら必ず助けに行ったろう・・・しかし今はそれより大切にしたいものがあることなのか?それがわたしの「ほんとうのきもち」・・・??オスカル様が、これとどう向き合ってどう処理していくか、が今後の課題となります。
 
18分35秒。妹さんの結婚式から1週間、アランが出勤してきません。ケータイもメールもない当時、連絡の取りようもありません。アンドレは隊員としてではなく「オスカル、外出を認めてくれないか?給料を届けてやりたいんだ、アランに」(=様子を見に行きたいんだ)とプライベート的な申告をしています。「まてアンドレ、わたしも行こう」。二人とも「何かあったのだな」と感じている。あくまで「業務外」としてアンドレ単独行にオスカル様が「ついていく」の図。家探しも、階段を上がる時も、アンドレが先導。下の階のおかみさんに文句言われてふと顔をあわせる二人、アンドレのほうが階段の2段ほど上にいるからか、オスカル様が見上げるというなんだかドキドキの構図なのです。これって、意識しちゃダメかな?(ちなみに原作ではオスカル様がおもいっきし「隊長」としての行動をとりますよね)
その後もアンドレが全て先導します。ドアを開けるのも、母親に声をかけるのも、カーテンを開けるのも・・・オスカル様はその後ろに一歩下がってついていくのですが・・・だっ、だからその衝撃も、直接オスカル様の目には触れないよう、アンドレがかばって間に入ってやっている構図になるわけです。
母親の説明で、ディアンヌが男に捨てられ首を吊ったことがわかります。美しい花嫁衣装を着て、首の縄もそのままという生々しさ。「こいつの側を離れねえ」アランにアンドレもオスカルも、かける言葉すらありません・・・ある意味、ポリニャック夫人の娘シャルロットが飛び降りた時以上の衝撃だったんじゃないかと思います。
 
21分。夕日の中「3部会を我らの手に!」第3身分を議会に送れとの行列を見ながら、アンドレとオスカル、肩を落として・・・
ナレーションが入ります。「アランの妹の死、それとこの時代の流れとは関わりがあるとは思えない。しかしオスカルはふと予感した。愛するもの、美しいもの、生きねばならぬものがある日突然帰らぬ人となる・・・ひょっとして、新しい時代とは、そんな悲しい時代ではないんだろうか、、、、と」
 
新しい時代よバンザイ、ではないのですね。それは貴族だから、平民だから、ではなくて、階層に関わらず、客観的に歴史を振り返った時にもそう言える。革命のその後をオスカルが見なかったのは幸いとも言えて、あの革命のあと、世の中ハッピーになったかというと実際は革命後に流された血の方がはるかに多かった。時代がこれからどこへ行こうとしているのか、止められない歯車の中、一体人間の「しあわせ」とは何なのか・・・オスカル様は一人の人間として、深く、考えていたことと思う。