Chose de parler de la danse ダンスについて語ること

Autoportrait de l'auteur en danse :パリ、ダンス、言葉の敷石を踏みしめて

アニばら第19話さよなら、妹よ!  Adieu, petite sœur !

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英語版タイトルは「Farewell, My sister」です。1778年、オスカル様22歳ということが前回のフェルゼンとの会話から推測されます。(18歳の4年後)

さて今回から晴れて、出崎新監督の担当です。まず作画が目に見えて変わります。オスカル様はぐっと美しく、そしてセリフは少なく、目や口元、表情で、いわゆる「行間」を語りまくります。そしてアンドレ。ぐっといい男に格上げされた印象です。この回ではわたしの一押しのアンドレの横顔も見ることができます。
 
この回の主人公はいわばシャルロットちゃんなわけですが、前述したように、オスカル様の言葉にしない言葉がその表情で雄弁に語られます。
オスカル様、登場回数は割と少なめなのですが「口にしない心の模様」を伝える画面に、釘付け間違いなしです。
 
アニばらファンの中では出崎監督の正式な船出となったこの回、原作と違った展開にかなり高評価なのですが、
主観入りまくりの私は手放しで喜べない回でもあります。以下、順次追っていきましょう。
 
op後、夕日の中で、乗馬の特訓をするロザリーを見守るオスカル様とアンドレ。守るものを持ったことも影響しているのか、本当に大人びてみえます。
ただ二人は切ない気持ちでいっぱいです。なぜなら、彼女の必死さは、情熱は、ただ「母の仇を取りたい」というマイナスのエネルギーを源とするものであり、本来、人間はそのような行為からは何も生み出さないと知っているから・・。二人は、自分たちのしていることは本当に正しいのか、自問自答しています。そして今は何もできないけれど、「私たちが何かしてやれることは《その後》だなーーー」とつぶやきます。
 
【ロザリーに対する疑問その1】それにしてもロザリーちゃん、前回のオスカル様の熱血コーチぶりの意味が全くわかっていないのではないでしょうか??「自分の人生を大切にしろ。明日のことだけを考えて生きるのだ」といったオスカル様の「復讐をしてどうする?燃え尽きた後あの子は何をする?」というお気持ちを、まったく汲むことができないほど、ロザリーは幼いのか?ただ、自分に必死になって冷静になれていないだけなんでしょうか・・・?
だとしたら、そんなロザリーを面倒見ているオスカル様にだって、いつか愛想尽かされてしまう・・・というふうには考えないのでしょうか。
 
ロザリーが自室の窓から星空を見上げるシーン。そんなロザリーの強がりに、アンドレ、ただ、「おやすみ、ロザリー」とだけいって去る。ああ、アンドレ、なんといい男っぷりで。口にしなくて良いことは口にしない、なんで?どうして?を連発しない、というのは大人社会への入り口でもあるのですが、オスカル様を守る使命を与えられていたアンドレにとって、そんなことは暗黙の了解というか、彼が自然と幼い頃から身につけてきた肌感覚でもあるのです。
 
舞踏会のシーン。オスカル様、必ずと言っていいほど一人でカクテルをお飲みあそばされます。この空になったグラスを持ったその手でくいと口をぬぐうしぐさ、宝塚男役さんも顔負けの(何か、比較対象がまちがっている気もしますが)男っぷりと色気です。くらくらします。
 
11歳の令嬢(シャルロット)に対しても、オスカル様はその心中を察して、決して無駄な口をきかず、敬語で部屋へ帰るよう諭します。
オスカル様の胸の白いバラ、さっきからずっと気になっていたんですがこれを奪い去るシャルロット。まあ11歳ですから、これぐらいは多めにみてあげてもよろしくてよ。
 
さてアンドレ、「世界名作アニメ劇場・小公女セーラ」もびっくりの、これでもかというぐらい不幸なロザリーの真実を大階段でオスカルに伝えます。そら、響き渡ってますわな。彼女の実の母は育ての母を殺したポリニャック夫人。アンドレ、王立図書館に知り合いがいるとはアニメ版では時々独自で、オスカルの助けとなるような良い動きをしています。
 
10分からの、塔の上のシーン。夕日に向かって、オスカル様は、ロザリーに母の真実を告げ、自分がここで言ったことは嘘だった、お前を思いとどまらせるためだった、と説明してやります。アンドレ、後ろの柱に背を持たれ座りながら、そんな二人の会話を見守っています。
「世の中、皮肉なもんだなーーー」といった時の、そう、まさにこのアンドレの横顔を皆さん、インプットされたし!!
一気にカッコよい大人の男になっています。輪郭のラインがすっきり尖っているせいでしょう、かなりのイケメンです。これは一押しのワンカット。
「時間稼ぎをして、かえってお前を永遠の苦しみの中に放り込んだようなものだ・・・」と淡々と告げるオスカル様に対するロザリーの返答といったら。「苦しみ?いいえオスカル様、あたしは苦しんでなんかいません!!」
 
【ロザリーに対する疑問その2】えー。その返事は何よ??大体オスカル様の前なんだから「あたし」じゃなくて「わたし」と言いなさいよ。この後、そんな私の怒りも届かず、さらに4回、ロザリーは「あたし」「あたし」を繰り返すのです。曰く「あたし」はちっともつらくなんかない、「あたし」の母は育ての母だけなのだと「あたし」は証明してみせるーーーと。
いい加減にしなさいよ、あんたっ!!さっきから黙ってきいてりゃあたしあたしってうるさいよ!
こんな風にしてロザリーに真実を告げなければならなかったオスカル様とアンドレの痛みがお前にはわからないのか?二人がどんな思いでこれまで孤児となったロザリーに無償の優しさを注いできたのか、理解しようともしないのか?オスカル様は自分を助け、教育し、母探しのことでこんなにも心を砕いてくださっている、そのことに対して、「ありがとうございます」「申し訳ありません」という気持ちはないのか?二言目にはあたしあたしって、・・・・どんだけ精神面未熟なんだ??いかに平民でこれまで教育が受けられてこなかったとはいえ、
それと相手の心を思いやる人格とは別のものだぞ?ましてやオスカル様は、お前の恩人ではないか。お前の憧れの人ではないか。その人に向かって、どうしてどうしてこうも「自分」のことだけを主張できるのだ・・・・
 
さらに。こんないち視聴者の思いをあざ笑うかのごとく、ロザリーちゃんは勝手な真似して、銃を持ち出して行方をくらませて3日。ロザリーの消息を追うアンドレ、軍の訓練を指揮しながらも心配するオスカル。ロザリー、これは業務外なんだぞ。二人は心からお前のことを心配して、どんだけこの二人に迷惑がかかってるのか、自分の行動、全くわかってないでしょ。
 
さてポリニャック夫人の馬車を待ち伏せして、ピストルで脅した挙句、馬車を引いて森の奥へ走らせるロザリー。3日もあったのだから、下見はバッチリです。そして「あたしに何も話しかけてはいけない。すぐ終わります」死にたくない、打たないでと逃げる夫人。
もうこの辺りからオスカル&アンドレは到着して、そっと見守っていたものと思われます。
 
それがわかるのが15分。引き金を引かずに、その場にへたり込んだロザリーの横に、黙ってオスカルが近づきます。
この時のオスカル様、何も言葉を発しないんです。そして目に涙をためて、膝にしがみつくロザリー。それでもまだ、オスカル様はないもおっしゃいません。
この時の目元口元によく注意してみてください。本当に・・・特にオスカル様の目元が一段と凛々しく、それでいて口元に憂いを讃えていて、なんとも、なんともツボのワンシーンなのです。。。。
ようやく口を開いたオスカル様「撃てるわけがない。お前のような優しい娘に、実の母親が撃てるわけがない」
オスカル様、ロザリーが引き金を引けないことをわかっていて、敢えて止めに入らなかったものと思われます。
止めに入れば、またロザリーは「どうして止めたの?もう少しだったのに!!」と前回みたいに泣きじゃくり、また同じことを企ててーーの繰り返しなのです。オスカル様は、彼女が自分の意思で「撃たない、撃てない」ところまで、彼女をやらせてあげたのです。
あー・・・なんて懐の大きい、人として・・・全てを飲み込んでいらっしゃるオスカル様・・・
 
ロザリーを馬にのせ、馬車の隣で、本当に囁くように、見てごらん、と馬車の中で眠るシャルロットを覗くよう促します。
「この娘はお前の妹ということになる」よかったな、お前が母親を殺せば、今度はこの娘が悲しむことになる・・・
それに対して、ロザリー、あんたの返答はなんですか!!「赤の他人です」
 
【ロザリーに対する疑問その3】ちょっとー。オスカル様が、こんなことしでかしたあんたをそれでもこうして、大きな愛で包んでくれているっていうのに、その言い方はないでしょーーー。強情はるのもいい加減にしなさいよ。
まずは「この度はご迷惑をかけてすみません」「お仕事でお疲れの中を、わざわざ私ごときの者のために、お迎えに来ていただいて、そしてまたも私を、助けていただいて・・・有り難うございます。なんとお礼を申し上げればよいか・・・」でしょーーーー!!!
それが、人としての、最低限の常識だーーーーー。お前はオスカル様のところにいて、そんなことも理解できないほど馬鹿なのか?そんな理性すら失ってしまうほど、憎しみが優っているのか??
わからない・・・私には、わからない・・・・(byスガンの親父)
出崎版「強い」ロザリーにまったくシンクロできない私って、嫌なやつ???
 
17分、舞踏会、おっとフェルゼンもいらしてました。
原作と違って、気が触れてしまった様子が描かれるシャルロットちゃん。カエルの噴水がベルサイユ宮殿実在のものであることはファンの間では有名な話ですよね。
原作ではオスカル様がシャルロットを捕まえにいくのですが、間一髪のところで間に合わず、前回負傷した左手がきかず、シャルロットを助け損ないます。「天罰だ・・・・」と口にするのですが、これも意味深な発言で。
対してアニメでは、シャルロットちゃんが塔の上で、あのオスカル様から奪ってお守りのように服につけていた白薔薇を、フッと天に舞わせて、自らもダイブします。地面に叩きつけられた横顔と、白薔薇の花びらがばらばらになる場面までを一気に書いていて、ああっ、と顔を手で覆いたくなります。オスカル、アンドレ、ロザリーの3人も、地上からそれを目撃しています。
 
「悲しくなんかない・・言葉だってかわさなかった、血の繋がった赤の他人がいたっていいわ・・・そうですよね、オスカル様!!」
と、まあここまで強情張らなくてもとおもうのですが、(まあそうさせたアニメ製作陣の意図もわからないではないですが)
最後にロザリーはやっと、優しい本来の自分の心を隠しきれず、オスカル様の胸に飛び込んでわあわあと号泣します。
「語り合うこともないまま・・・かわいそうに、たったの11歳で・・・」
 
【ロザリーへの疑問その4】
はい、十分わかりますよ、ロザリーがこれまで突っ張って突っ張って、それでもオスカル様は優しいロザリーの本来の気性を知っていたからこそ、なにも言わずやりたいようにやらせ、言いたいように吐き出させてやり、見守り続けてきた。そして視聴者にとってみれば、だからこそ、このラストの、ロザリーのほんとうの心からほとばしった気持ちが、短いながら重みを持って胸を打つのです。
はい、わかりますよ。アニメにするからには、原作をなぞったままじゃ仕方ないと思ったのでしょうし、私だってこういう風に制作するしかないかもと思います。
でもねえ、それにしても、アニメのロザリーちゃん、「自立」するってことは強情を張ったり、強がってみせることじゃないんですよ。
自分のことで、自分を想ってくれる人に迷惑をかけないこと。相手がどういう気持ちでいるかを察し、ましてや尊敬し憧れる人物のそばにいられるチャンスなんて、人生そんなにあるわけじゃないのですから、それにふさわしい自分であろうと精一杯つとめること、そして受けた恩をきちんと、いつか何かの形でお返しすることなんです。
オスカル様が望んでいるのが、自分が復讐などというものに執念を燃やさず、自分自身を生き切ることだと、あれほど、誠意をもって、幾度となく伝えてくれたではありませんか。にもかかわらず、この成長のなさといったらなんなんでしょ。私だったらこういう後輩は手に負えません。
 
・・・と、今話で私が感じていたのは、こうして振り返ってみると、アニメそのものや作り方、設定に対する不満といったことではないようです。単に、人としての礼儀も心づかいも学んでいない勘違いロザリーちゃんへの怒り、なのだと思います。
そして・・・にもかかわらず、大きな愛をこの娘に与え、包み続けるオスカル様の器の広さ、人間としての大きさに、ただただひれ伏すばかりです。それは、見返りを求めない愛=隣人への愛=神の愛、にも通じるものがあると思います。
 
前回、ロザリーを引き取ったのはある種、オスカル様の自己満、というファンにあるまじき指摘もしましたが、オスカル様が仮に当初はそのような気持ちだったとしても、一緒に生活し、この手で教育してやっている中で、ロザリーに対する責任はますますオスカル様の中で広がっていったのだと思います。今自分にできる全ての誠意を総動員して見守ってやること・・・復讐がどんな結果になれ、彼女の「その後」を引き受ける覚悟さえ感じていたこと・・・そんなオスカル様のそばで、アンドレも、同じ気持ちを共有していたに違いありません。