Chose de parler de la danse ダンスについて語ること

Autoportrait de l'auteur en danse :パリ、ダンス、言葉の敷石を踏みしめて

アニばら第9話 陽は沈み陽は昇る Un soleil se couche, un soleil se lève

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英語版タイトルは「The sun sets, the sun rise」ってそのままやねん!!

 
長らく国王の寵愛を欲しいままにし、宮廷の権力を握った娼婦上がりのデュバリー夫人、いよいよアデューの回です。
 
首飾り・・・これはのちの伏線か?1774年4月27日、ルイ15世が狩りの途中倒れた。ベッドのそば、この期に及んで執念を燃やすデュバリー。
opのち4分。ご自宅からベルサイユの方角を眺めるオスカルに、アンドレは「心配するな」と。オスカル、何も言わずただ黙って首を縦にふる。もう二人の仲は、コトバにしなくても分かる何かで通じ合っているらしい。短いけれど、第8話の余韻さめやらぬなかで、いいシーンです。
場面転換ではよく白い鳩が飛び立ちます。
 
亡くなったわけでもないのに宮廷中、今後の身の振り方について余念無い貴族どもばかり。オスカルの怒りは急上昇します。荒れまくり、新兵の訓練で当たりまくるオスカル隊長。「どうしたんだ、いつもの隊長らしくない」と呟くジェロ様に、隣のアンドレは「じっとしていられないんだ、オスカルは。そんな気持ちもわからんのか」とケンカ腰。いつになく上から目線で、「身の程をわきまえてものをいえ」とジェロのきつい口調を買ってしまいます。どうやらこれまでの三銃士ばりのチームワークが崩れかけ、ジェロ&アンドレの間に、ただならぬ緊張感が走っております。
 
そりゃあ、ジェロ様の嫉妬でしょう・・・前回、オスカルが負傷しながらも我を忘れて命をかけた男、アンドレ。隊長はオレのためにここまで一生懸命になってくれるだろうか、そうでなくとも、いつも一緒にいて、影のように付き添うアンドレに対して、自尊心の強いジェロ様は「平民のくせに」という思いが無きにしもあらず。
逆に、アンドレの方は、どうしてこんな物言いをしてしまったのでしょう。それこそ「いつものアンドレらしくない」と思いましたが、べつに上から目線になっているわけでも、前回のことで得意になって自慢したいわけでもないんです。前回も言っていたように、自分は平民、オスカルは出世街道まっしぐら、どんどん位もあがってゆく貴族。一介の馬ていごときである自分がどんなにオスカルの気持ちをわかっていようとも、それじゃ守りきれないところまで、オスカルはすぐに行ってしまうはずだ。そのとき、そばにいてやれるのはジェローデル、お前しかいないではないか。貴族の身分といい、家柄といい、直属の部下として、オスカルの右腕を務められるのは、ジェロだけなんです。
最も近くにいて、オスカルのことを誰よりわかってやらなくてはならない立場にいるジェロに対し、想像力の欠如を指摘し、「そんなこともわからんのか」と言わねばならない気持ちは手に取るようにわかります。・・・というふうに、私は理解しました。
決して、アンドレは嫌味だけでものをいうような男じゃないんです。一言に、理由があるのです。
 
必要以上に自意識過剰になり、デュバリーに呼ばれたオスカルに「おともします」などと口走っている。
何かあるな、という感が働いているだけ、さすがオスカルも一目置いている使える部下なんですが、
オスカル様としては「こんなときに無用な騒ぎを起こしたくない」とさっさとことを片付けようと単独行動に出ます。
その場に残されたジェロ&アンドレ、やっぱり少しピリピリした雰囲気が続いたのでしょうね。
 
デュバリーの最後の願いもむなしく、「そのような役目にありません」ときっぱりと断るオスカル。デュバリーが自分で突きつけたはずの剣先で、オスカル様の美しい顔につつーっと一本、血筋が流れただけで動揺してしまうあたり、デュバリーだって普通の、戦いだの剣だのには縁のない一人の女なのです。その後、助けを求めたオルレアン公にさえ用済みと拒否られ、いよいよ孤立無縁のデュバリー。それでも合言葉は「負けるもんですか」どこまでも勝気な女です。
 
国王の容体悪化し、デュバリーはお妾という悪のレッテルを貼られ、ベルサイユから追放になります。
国王御崩御、扉の前にいて立ち話をしていたのはオスカル&ジェロ様。美しい二人のツーショット、絵になりますなあ。
 
「国王崩御!国王万歳!」と叫び、走り出す宮廷の貴族どもを横目に、オスカル様は「まだご遺体とのお別れも済んでいないのに・・・」
と本音を漏らします。ジェロ様の痛恨の一言が続きます。
「げんきんなものだ・・・さっきまでルイ15世のご機嫌を伺っていたのに・・・。だが人の心なんてそんなもんさ」
自嘲気味にふっと笑うジェロ様。うおおお、さっきのアンドレへのきっつい仕打ちを忘れ、画面の前でしびれてしまいます。
笑ったのは、単に貴族を嘲るだけの意味でなく、「そう、この俺だって同じさ。ふっ」とでもいうかのよう。
ジェロ様のキザなところですが。オスカル隊長、ちょっとびっくりした顔でジェロを見つめ返すのがいい。
 
「日は昇り、日は沈む。栄えたのものはいつか滅び、新しい陽を見なければ、人は生きていけぬ・・・」
 
おおーっ、前回アンドレにいいとこ取りされたお返しと言わんばかり、ジェロ様、第9話のタイトルジャックとでましたか!!
シリアスかつ核心を突いた言葉をジェロに言われ、オスカル隊長、かなり素直にショックを受けているようです。
ジェロにあとを任せて外に出て行くと、目にしたのはひどい暴力を受け、「お前はもうただの女」呼ばわりされているデュバリー夫人。
鞭でうたれるところオスカルが割って入り「手荒な真似はよせ!」と一括。
地面に倒れこんでいるデュバリーに手を差し伸べるも、黙って首を横に振り、じぶんで立ち上がるデュバリー。
彼女にだって、プライドがあるのです。
「同情されたくない」という気持ちを推し量るかのように
「あなたを襲撃するという噂もある。お伴する」と強制的についてゆくオスカル。
 
オスカルはせめて最後だけでも、この女性に尊厳をもって、堂々と去って行って欲しかったのだとおもう。
国王の寵愛、権力を欲しいままにし、一度はアントワネットさえもその膝下に屈服させた女、デュバリー。
こいつの陰謀になんど捕まり、危ない目に遭わせられたことだろう。でも今、オスカルはそんな過去なんてどうでもよく
全てを手放し頂点から転げ落ちる一人の女の去り際にあたり、人として、最大限の敬意をもって接しているのです。
 
夕焼けが綺麗です。落日、といったほうがいいかもしれない。
デュバリーを乗せた馬車と、静かにそれを警護するオスカル。
 
「ベルサイユをかなり離れたわ。襲撃の噂は嘘だったのね」
デュバリーとて、バカな女ではありません・・・。オスカルを相手にあれよこれよと策略を練った頭があります。
今、彼女に向けられているオスカルの、人としての真摯な態度に、気づかされないわけがありません。
黙って、口を一文字にして歩み続けるオスカル。
「オスカル、あんたは明日のパンを心配することがどんなに惨めで辛いことか知らないでしょうね・・・」から始まるデュバリーの、
あっさりと、決して惨めったらしくない、最後まで力強い独白はオスカルの胸にどんなふうに響いたのでしょうか。
国王に愛され、いつしかパンの代わりにダイヤやドレスを飢えたように求め続けたデュバリー夫人。
「あたしはーー死刑になるのかしら?でも後悔しない。自分の思うことを好きなようにやってきたんですもの」
デュバリーの言葉は決して強がりでなく、晴れ晴れとさえ聞こえます。
 
20分。「止めて」。夕日の見える道途中で、デュバリーはオスカルに告げます。ーーもうここで。ありがとうオスカル。
こんなに優しい気持ちになったの、5歳の時に親を亡くして以来よ・・・「あなたって、不思議なひとね」
あたしはすぐに過去が忘れられる女よ。今は季節外れのひまわりだけど、またいつか咲いて見せるわ・・・
 
1793年、革命法廷により断頭台の露と消えた、ということは、1789年、革命の最中に亡くなったオスカルよりほんの少しだけ長生きしたことになります。
 
目の前にあるのは、一度は頂点を極めながらも、全て失い滅んで行く者の後ろ姿。
オスカルはそんな彼女に対し、精一杯、人として真心を尽くします。
この回で制作陣が描いたのは、デュバリーとオスカル、かつては敵同士だったふたりの、言葉では表せない心の交流。
オスカルの人徳ともいうべきところが、最後、素直になったデュバリーの語りを通して表現されます。
 
どんな人間にも、最低限「人としての誇り」を守る権利がある。誰だろうと、それは平等に保障されるべきである、というのが、基本的なオスカルの考え方です。
見終わった時は気づきませんでしたが、時間を空けてもう一点気づいたのは、これは、デュバリーのみならず、亡くなったルイ15世陛下に対する敬意でもあったのだと。他のものが離れて行く中で、最後まで病気の国王の側で祈り続けたデュバリーの中に「執着心」以外の一ミリの感情もなかったと誰が断言できましょう。狙いはどうあれ、そして、したことの良し悪しはともかく、ルイに愛され、同じベルサイユ宮殿に生きた人間です。少なくとも、「生きる」ということに関し、彼女は彼女自身の生を、その時々で悔いなく、精一杯に生き抜いたわけで、そのことで誰に引け目を感じる理由なんかないのです。
陛下の元愛人の最後をサポートすること、それがせめてもの、亡くなったルイ15世に対するオスカルのお悔やみの形でもあったのではないか、ということです。
 
ここまで、「ひとの心の機微」を描いた作品が他にあったでしょうか・・・
「お子様向け夕食時放映のアニメ」にとどまらず、少女漫画の枠すら、とっくに超えています。
特にデュバリー夫人お見送りのエピソードは原作にはない、アニメ版オリジナルです。
オスカルの幅の広さ、人間味に、内面と行動とにうまくスポットライトを当て言い過ぎず、押し付けがましくない形で、最も大切なテーマを訴えかけることに成功しています。原作を超えて、アニメという表現形態はこれほどまでに作品を深く深く掘り下げることができるのかーーー。
制作陣には、感嘆せざるを得ません。
個人的には、長いな、引っ張りすぎなんだよ、さっさと消えうせろと思っていたデュバリー。でもこのラストを描くためにあの3話分が必要だったというのなら、それはそれで納得もいたしましょう。
また私自身が女ということもあってか、ラストは気持ちが完全にデュバリーに重なっています。
オスカル様やアンドレに涙しても、ここで「デュバリーにシンクロしたから」泣けるというのもまた、クレイジーな体験であり、
オスカル様によって提示された「思いやり」というテーマについて、私たちは人生のそこかしこで、幾度も振り返っては考える、、、、
そんな幸福な体験を、アニメ視聴者は得るのです。
 
ラストはサンドニ教会へ埋葬されれるルイ15世の棺の真夜中の行進。
「古いものと新しいもの、栄えるものと滅びるもの、どうしようもない人の世の流れに触れてしまった心の痛みを、オスカルは抑えることができなかったーーー」というナレーションで終わります。