Chose de parler de la danse ダンスについて語ること

Autoportrait de l'auteur en danse :パリ、ダンス、言葉の敷石を踏みしめて

アニばら第5話 高貴さを涙にこめてLarmes de noblesse

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この回からようやく、字幕ではなく英語版タイトルが画面上に反映されるようになりました。

こともあろうに、2〜4回までの各話は、画面上の英語が第1回の時のままだったのです。(字幕は下についていますが)
なんというあるまじき手抜き・・・と私なんかは制作サイドに一言申し上げたい気分なのですが、
はい、めでたく今回の英語版タイトルは「Tears with Dignity」ですね。仏語版より日本語の意図を汲み取った表現になっている気がします。
(仏語版だと気高い涙ってことに取られかねませんが、別に涙が気高いわけじゃないですからね)
 
時は1771年から1772年の1月1日、オスカル様16歳です。
原作でも、アントワネットがデュバリー夫人に声をかけたのは興し入れからなんと2年後、とのことだったので、
時系列は原作に基づいております。それにしてもあっという間に2年が過ぎてしまったわけですね。
 
3話も続いた破壊癖のあるデュバリーの描写に、もう気の短い視聴者たる私なんかは飽き飽き。
実際、このエピソードを引っ張りすぎたことで、視聴率を落としたとも聞いていますが。
 
アニメ版ですごいのは、オルレアン公の「死刑」のセリフをデュバリーが繰り返した瞬間、割れた時計が狂ったようにけたたましく鳴り響くこと。この辺り、やはりアニメならではの演出ともいえましょう。
 
王太子キツネ狩りに。お供はオスカル様の役目なんですね。さすがです。
オルレアン公の悪巧みで暴発するはずの鉄砲も、危機一髪で難を逃れてしまい、失敗に終わります。
ね、オルレアン。小手先の作戦じゃ、あんた逆立ちしたってオスカル様にかなわないのよ。
馬からおりて「どう」と王太子の馬をあっちへやり、王太子に駆け寄るオスカル様。その無駄のない洗練された身のこなしを見よ!!
 
メルシー伯の苦悩は、アニメでここまで深く追わなくても良かったかも、と思います。
ただオスカルがアントワネットにきっぱり進言するシーンはまあ必要ではあったでしょう。
「おばさまがたにそそのかされ、つまらぬ意地の張り合いでヨーロッパ中を戦争に巻き込もうとしている」ったあ、ちょっと誇張しすぎな気もなきにしもあらず、ですが、それぐらい言わないと、アントワネット、自分の立場というものがわかっていない、まだまだおこちゃまなのです。
このオスカルを信じ、忠告を聞き入れ、これからもそれを素直に聞く耳さえ持っていれば・・・アントワネットだってもう少しましな人生を送れたかもしれないものを。
 
原作のオスカルは、アントワネットがここ一番でおばさまに連れて行かれてしまったとき、こりゃ傑作だといわんばかりに大笑い(あざけり笑う)のですが、アニメのオスカルは違います。顔にタテ線をいれ、静かに目を伏せるばかり。さぞご心痛であったことと思われます。
この違いは大きい。原作オスカルはこの段階ではまだ「観覧者」の一人ですが、アニメオスカルは一足早く成熟なさり、
職務に忠実であられます。従って、女主人のアントワネットのことに、心を痛めておられるのです。
 
やってきました。1772年、1月1日。
ついにアントワネットがデュバリーに声をかけることで、2年に及ぶ対立に決着をつけます。
 
敗北の後、部屋で大泣きしまくるアントワネットの前にひざまづき、優しく顔を上げさせてやるオスカル様。
大変にジェントルなお振る舞いです。16歳にして、なんと「気遣いの人」なのでしょう。
 
対してアントワネットは自分のことだけあわれみビービーとないています。
「宮廷は堕落しました。娼婦に敗北したのです・・・おおおっ・・・」
と泣くアントワネットに、オスカル様
「なんという誇り高いお方だろう」と妙な感心の仕方をなさっているのです。その御心はすでにフランスの女王なのだ、と。
 
うーん。このシーン、何度見ても、原作を読んでも、我が身に置き換えられずにはいられないんですよね。
オスカル様の人となりがよく表れている。
他人に対しては、常にこのような謙虚な気持ちでいなければならないものなのだろうか??と・・・。
成人し、社会に出て、それなりにやっていくには嘘も、他人を押しのける力も知り、
また、自分より劣る人間を見下して、蹴落として、高みを目指してきた。それが大人になる、ということでもあった。
しかしながら、それはオスカル様のようにすなおな心で物事に打たれる、感動する、という気持ちと引き換えでもあったわけで。
 
オスカルはアントワネットをこの後よく「ご自分の感情にすなおなお方」などと称するのですが、
もっと根源的な部分で、オスカルという人間はまっすぐに、素直にできているのだと思わざるを得ません。
この時のオスカルの思考回路というものは、いつも私を初心に返らせてくれるものでもあったわけです。
 
「生涯妃殿下におつかえ申し上げます」
ーーー私はそんな風に誰かに、忠誠を誓ったことがあっただろうかーーー
 
ここでオスカルの「人に尽くす」「他人に対して誠実である」という、人としての基本姿勢が提示されています。
 
《考察1》
だからこそ、アニメ版ではオスカル様のあざけり笑いをカットしているんですよね。あれがあるのとないのじゃ、このラストシーンのオスカルの感動の深みが違ってきてしまいますから。
 
私は原作漫画(愛蔵版)をブックオフでゲットしたのが19歳か20歳の頃、アニメ版なんぞみるについては、まさに渡仏後の38歳という、ベルばらファンとしては遅咲きの人間です。(そのもっと前にオル窓にはまっていたので、あえて華やか過ぎ、かっこよすぎるベルばらは手を出さなかったのだと思っています)
でも今思うと、もっと思春期の頃、例えば中学とかそれぐらい(多少歴史の背景も自分で図書館で調べたりできるぐらいの年頃)で、ベルばらに、というかオスカル様に出会っていたかったな、と思います。もっと私の人格形成に大きく関わって欲しかった。。。。今となっては手遅れです。そんな想いを込めて、このブログを綴っています・・・
 
《考察2》
アントワネットは「娼婦上がり」という理由、ただその一点でデュバリーを拒否し続けます。
人は基本、自分の経験したこと、自分の世界でしか物事を捉えることができません。
しかしアントワネット、あなたが娼婦を嫌う気持ちはわかりますが、だれが娼婦なんぞになりたくてなっていると思いますか?
そうしなくては食べていけない、生きていけない、のっぴきならない人間たちの心の動きなど、アントワネットは想像する力をもたないのです。
そう、アントワネットに欠けていてオスカルにあるものーーーそれは他者に寄り添い、想いを馳せることのできる「ほんのひとかけらの想像力」ではないでしょうか。
もっとも箱入りムスメのアントワネットにそんなもの要求する方が間違っていますが・・・
そう考えると、貴族でありながら、オスカル様の、とても同い年とは思えない思慮深さ、人としてのあり方の奥行きの広さに、
私などは、唖然とさせられてしまうばかりです。
ああ、ほんとうに、我が人格形成期にオスカル様と出会わなかったことを呪うばかりです。
 
このあたりのオスカル様の人柄は、のちの回でデュバリー夫人が宮廷を去る時にもっとも印象強く描かれます。
これはもちろんアニメオリジナルの導入です。オスカルの最高の見せ場となっています。