Chose de parler de la danse ダンスについて語ること

Autoportrait de l'auteur en danse :パリ、ダンス、言葉の敷石を踏みしめて

アニばら第1話 オスカル! バラの運命 Oscar ! Le destin d'une rose

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英語版タイトルは「Oscer! The destiny of the rose」です。

 
雨、大雨です。とどろく落雷も、これから来たるドラマの不吉な幕開けを象徴しています。
確かオスカル様は12月25日生まれ。この後opを挟んで、1769年には御歳14歳におなり遊ばされているわけですから、
つまり遡ること14年、1755年のことであったと思われます。
ジャルジェ将軍は茶色の髪でまだお若い。しかし14年後の宮廷ではすっかりロマンスグレーになっています。
男子に恵まれなかった将軍が、いかに心を砕いてオスカルを息子として育てたのか、ご苦労が感じられます。
物語はこの20年後に起こフランス革命に向けて、幕が切って落とされたばかりです。
 
ちゃんばらごっこ(もとい、剣の練習)のシーンでオスカル様、その美しきお顔、視聴者の前に初登場。
「あの」音楽とともにです。アニメの効果というのはすごいですね。
まあなんと利発そうな「少年」でございましょう。まだ髪も短こうございます。
 
ジャルジェ将軍が近衛隊の隊長の座について国王と話し合っているシーンでは、横にいるのはブイエさんではありませんか。
原作では犬猿の仲でしたが、アニメ版では旧友という設定になっています。
また早くもここでジェローデルの名が。期待ビンビンです。
 
18世紀、フランスとオーストリアは仲が悪かったんですね。で、女傑マリアテレジアの提案で両家和平にこぎつけた、
アントワネットはその証として(=道具)用いられた、という時代背景がとてもわかりやすくナレーションされています。
 
さて「女のお守りなどしたくない」発言にキレる父上。まだ隊長の座につくかどうかもわからないのに、軍服はすでに支給されてしまっているのでしょうか?ナゾです。
 
「バカもの!頭を冷やせ!」と殴られるオスカル、いかにも殴られなれている所作が痛々しいです。
これで当たり前ーーーとでもいうように、逆上する父に感情をぐっとこらえている。
きっと14年間、このようにことあるごとに厳しく育てられてきたのでしょう。甘やかされたことなんて一度もなかったはず。
それにしても、ビデオを止めて確認したところ、オスカル様、スカーレットもびっくりの「7段ころげ落ち」の大演技です。
いかに身軽で機敏で、柔軟性に優れたお身体をお持ちであろうとも、スタントマンなしで7段もころげ落ちれば、肋骨の1本や2本折れる危険性もなきにしもあらず。
まあ、物心つかぬうちからあの父上にこのような体罰を繰り返されている暁には、アントワネット様を抱いて落馬なすっても、
「ひどい打ち身」程度ですんだものと思われます。剣、銃に加え、受け身の練習も仕込まれているオスカル様。(本人が望むと望まざるとに関わらず)
 
もともとオスカル様は他人の気持ちを慮るあまり、自分の主張を抑えることを高貴な振る舞いとして身につけている(というかそうしなければ自らの存在を認めてもらえなかった)という性質の持ち主なので、日頃よっぽどのことがない限り、父上に逆らうなどということはなかったのでしょう。あくまで尊敬し、「育てていただいている」といったご両親への気持ちが優先する、本来優しい子。
ここでは「反抗期」などというステレオタイプな言葉で済まされない、「自己の内部の戦い」を乗り越えなければならないのですがそれはもう少し後ででてきます。
まあ、それが20年後のあの反逆のふせんでもあるとはーー当のジャルジェ将軍もこの時は気付きますまい。
 
一瞬、夕日をバックに立ちすくむオスカルの姿が描かれますが、その時オスカルの胸に抱えた悩みは、いかばかりのものであったでしょう。早くも孤独な影に、見ているものはズキン、となります。
 
なんと!開始9分にして、我らがジェローデル登場?!
ちょっと不穏なフルートの音をバックに、お供と馬でご参上です。
原作を想って、唯一、アニメ版での声が「ぴったりだ」と思ったのがこの人。ちょっと高めのハスキーボイス。
ナルシスティックで気障、だけどやっぱり育ちのいいおぼっちゃん的な感じがよく出ています。
 
オスカル様はいったい何の木の下にいるのでしょう。春を象徴するピンクの花が咲き誇り、画面に華やぎを加えております。
ここはフランス、まさか桜の木ではあるまいと存じますが…。
 
自己紹介をするオスカル様の声が、まるでセリフを読むかのように一本調子なのもすごくいいです。
彼女(彼)だって、ほんとうはこんな手荒なまねはしたくない。けれども「女といえど武人、こうするしか名誉を守る方法がない」から、
考えた上での行動だったのです。
まだこの時点でアントワネットは登場しませんが、この思慮の深さ、とても同い年とは思えません。
先に申しあげておきますと、筆者は「アンチ・アントワネット」派です。
このブログはオスカル様という生き方、その思考を辿るために設置したものであり、
ことアントワネットのこととなると、かなり辛辣な批判を繰り広げるであろうことを、ご承知おきください。
 
さて、秘密裏に計画を行動に移す意志の強さ、決して口先だけでない、剣の実力(自信)があってこそということをオスカル本人がよく自覚した上での行動であり、もっといえばジュロ様に「恥をかかせたくない」がための配慮でもあったわけです。
11分からの決闘シーンは、さすがに見応えがあります。紙面では描ききれないスピード感が、背景によって、一層臨場感を増して伝わってきます。こういうところはまさにアニメの見せ場であります。
というか、このジェロ様とのエピソード自体がアニメ版オリジナルであり、なかなかどうして、この第1話はうまく作られていると思うのです。
 
さて、原作のジェロはオスカルよりどうも2、3歳下ぐらいに見えますが、アニメ版では逆にジェロのほうが年上に見えます。
背もオスカルより高く、全体的にも少年か少女かわからないような線の細いオスカルに対し、ジェロはすでに大人の男、貴公子の雰囲気を漂わせてさえいます。肩幅も広めに取ってある。圧倒的に、場の空気でいえばジェロのほうが上から目線ですが、そこはオスカル様、持ち前の身軽さと確かな剣の腕とで、ジェロの服を切り裂きます。
 
さて、冒頭のちゃんばらごっごシーンでも、オスカルはアンドレの服を切り裂いていましたが、練習のたびに服を切り裂かれていたらたまったものではありませんね。貴族のおうちだからといってその度に新調していてはいくらお金があっても足りません。下僕ですし、切り裂かれた部分は、ばあやが手縫いで繕ってくれていたのでしょう。台所でワインでものみながら・・・。
 
話は戻って、「ありがとう、あたしはもうこれで十分です」と相手に決定的な打撃を与える前にケリをつけようとした礼儀正しいオスカルに向かって、ジェロ様なんですかその引き際の悪さは。女々しい、もうおやめなさい。
 
この一件で、馬屋でまたも父上に、今度は往復ビンタをくらいます。見守ることした出来ないアンドレ…。
ばあやはばあやで、台所で呑んだくれています。あたしゃ今日のまずにいられないんだよ、とか言って。
そしてベルばらに出てくるワインは常に赤ワインです。やはり白ワインよりもメジャーなんでしょうか?
俗にいうテーブルワイン…もしくは調理用の安ワインをたしなんでいると見ることも出来ますが、ジャルジェ家ワインリストの銘柄についてもぜひ知りたいものです。
ここで、初めて見た時よくわからなかったのが、ばあやのつぶやいた「男と女の戦いでございます…」というセリフ。
男と?女の?戦いってどういうこと?とながらく疑問だったのですが、まあようするに、その後アンドレも「そうか、もしかしてオスカルは…」などと言っているように、これは素直に「オスカルが男として生きるか、女として生きるかの分岐点」という意味でよろしいかと思います。
たぶんこの発言については、男社会、また父上に屈服するかどうかという男女視点から考察する人も多いと思いますが、私はあえて、アニばら第1話で、そこまでふろしきを広げすぎなくていい、とわりかし素直にスルーしています。
 
春の嵐吹きすさぶ中、「ーー夢中になっている時はいい…しかし…」の一連のセリフが出てまいります。
オスカル様は下僕のアンドレには、まだ弱い御心を見せたくない、そういう気持ちでいるみたいです。
ここでさっきのばあやのつぶやきが効いてくるのですが、「もしかしてお前の本心は…(女でありたいのではないか)」というアンドレの想像にとつながってくるわけです。
アンドレは、原作と違って、オスカルよりも冷静で、深く物事を捉えるだけの器量を身につけています。
物語前半ではそのあたりはまだまだほんのすこししか垣間みることができないのですが、明らかに、彼は最初からオスカルを女として意識している、守ってやるべき存在だと感じているようなのです。
 
ジャルジェ将軍、困った時の「アンドレ頼み」。一家の主ともあろうお方が、「お前のいうことなら聞くかもしれん」などと下僕にすがるなんて、よろしいのでしょうか??
それとも、普段から兄弟みたいに育った二人の信頼関係に父君も重きを置いている、ということなのでしょうか?
ますますアンドレがお兄さん的役割を負わされていきます…あーあ、くどいようですが、
20年後の彼に、どんなセリフを吐かれるかなぞ・・・ジャルジェ将軍よ、全てはあなたのしたことの結果なのですぞ。
 
さて我らがオスカル様、立ち聞きスタイルも半端ありません。世が世なら、黒い騎士ぐらい、朝飯前で彼女にも務まったでしょう。
その軽い身のこなしから、国際的なスパイとしても十分通用したかもしれません。
 
おはよう、と馬屋で待っていたアンドレに対し「ああ、早いな」と一言。
私は何かにつけて、このオスカル様の「ああ」がとってもしびれるんです。
これがのちに成長し、恋心も覚えたオスカル様、どんどん色っぽいため息に変わっていくわけなのですが・・・
とにかくこの声の変化、というのも、全編を通してのアニばらの見どころ(萌えどころ)のひとつとなっています。
というわけで、今は若き日の凛々しいお声だけを耳に覚えさせておきましょう。
 
遠乗りに出かけた二人。ここでもアニメオリジナルの展開が待っています。
少女漫画なのに、「あしたのジョー」ばりの殴り合いシーンへと突入。まあ男同士の友情ってこういうもんなんでしょうね。
と思っていたところ、こんなに殴りあうのは「初めてだな」なんてアンドレが言って、ちゃっかりオスカル様の手を握っちゃったりするあたり、ちょ、ちょっと、どうなのよ!?と思ってしまいます。
 
なぐりあいシーンはしばらく音楽なしで続きます。アンドレとはほぼ対等の位置関係にあります。
ちょっと小休止して朝日がさんぜんと水面に輝くシーン・・・いよいよ本格的な「ジョー」モードへ、バックミュージック付きで切り替わるのです。
「そうだ、その眼だ!」もういったいどこのコーチと選手のスポ根もの・・・と勘違いするほどの青春のひとときです。
アンドレとは対等関係とありますが、それはここでの力でのことで、「かかってこい」とアンドレに言わせているあたり、
やはりアンドレのほうが「兄」的な存在で、オスカルを導く(彼女の本心を引き出し肯定してやる)役割を多少なりとも担っているように思えます。いやあ、手加減なしですなあ。
そしてアンドレはオスカルの気持ちを知ってか、「女に戻るなら今だぞ」というようなことを叫ぶのですが、オスカル様本人にその声が届いたかどうか・・・。こう考えると、第1話からしてアンドレは結構おいしいポジションを占めていることに気づきます。
 
オスカル様としては、アンドレが「軍服を着ろ」と言ってくれたほうがどれだけ楽だったでしょう。
言ってくれなかったことで、彼女はもう誰のせいにもできない、まさに自分自身の選択をせまられることになるのです。
 
21分、白い軍服を身につけたオスカル様が、宝塚さながら大階段からお歩きになるすがた・・・そりゃあもう未来のトップスターさんを見る思いですよ。メインテーマの音楽も加わり、それはそれは神々しく・・・すでに白バラの如き気品、誰も近づけぬ高貴さを身にまとっていらっしゃるではありませんか!!ひれ伏したくなったのは、父君やアンドレ、ばあやだけではありますまい。
 
「父上…これはあなたのためでも、誰のためでもありません…」
このセリフは、オスカルがこれから始まる怒涛の運命を、自らの意思で選択したのだという表明であり、
どんなことが起ころうとも、誰の責任にもできない、いばらの道を歩き出したのだということを、彼女自身が自らに言い聞かせたものと理解しています。
 
ナレーション「愛と死の怒涛の運命が待ち受けていることを知る由もない、オスカル14歳の春であった」
いいですね・・・アンドレに付き添われ、ピンクの花木の中を一歩一歩と進む後ろ姿で第1話は幕を閉じます。
 
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考察「男と女の戦い」
 
オスカル様も14歳。当時はすでに社交界にデビューし、15で嫁に行かされ、子供を産むのが「女の普通の道」だったことを考えれば、彼女が「男」として生きるか「女」として生きるか、一生を決定づける、引き返すことのできない岐路にいた、と見るのが妥当でしょう。
でも原作読者としては、正直このアニメの展開に戸惑ったのもたしか。だって、オスカルって小さい時はまだほんとに自分のこと男のこだと信じていたんでしょう?14歳の時に、男として生きるか、女として生きるか、なんて選択権があるという設定自体に驚きだったのです。つまり彼女は自分が男として生きる運命を幼少から刷り込まれ、自分なりに納得し、とっくに男として突き進んでいたはずではなかったのか・・・それを、何を今更。という気持ちも若干あったわけです。
で、ばあやの「男と女の戦い」発言をよくよく考えてみたのですが・・・
14歳。ふと思ったんです。女子ならば、すでに初潮を迎えている年頃だろうと。当時の平均年齢がいくつぐらいだったのか、早かったのか遅かったのかわかりませんが、まあ運動をしているから大してグラマーに育たなかったにせよ、多少なりとも胸も膨らみ、そして身体が「女」になった、そのことを、毎月の生理で思い知らされているのではないかと思うのです。これまで少年のように育ってきたけれど、身体は子供を産む準備ができているーー「産む性」としての女を、オスカルは嫌でも身体の変化から、突きつけられる年頃だったのではないでしょうか。
このころは保健体育の授業なんざあるわけもなく、きっとばあやが「おじょう様、女の身体になったのでございますよ」とかいって、赤飯炊いてお祝いしたんじゃないかと思います。さすがに父君だって、オスカル様の性教育にまでは関知していらっしゃらないでしょう。当然「mon fils」(私の息子)、フランス語版でも、父からオスカル様への言葉には、全て男性形が使われています。
(注>フランス語には全ての単語に男性形、女性形という性別があります。ですから仏語版の楽しみは、父上が、アンドレが、フェルゼンが、その時どういう単語の綴りになっているかによって、オスカルを男としてみているのか、女としてみているのかが、シーンごとに異なります。これは英語字幕ともまた別の、フランス語ならではの楽しみのひとつです)
 
話を戻しまして、そう、結局何が言いたかったかというと、この「オスカルの初潮問題」について言及されているサイトは見つからなかったなあ、と思いまして。彼女がこころは男でいようと思っても、こればかりはやむを得ない女性としての身体の変化が訪れた時、改めて、男として生きる「意味」を見つめ直したんじゃないかと思います。・・・きっと、だれにも相談することなしに・・・。
 
また物語の進行の上でも、彼女自身が自ら選び取った「男の道」ということを冒頭ではっきりさせておく機会が必要でした。周りの登場人物に対しても、また視聴者に対しても。彼女はもうこれで、今後一切、逃げも隠れもできない、責任を他人になすりつけることもできない、(だってあたしホントは女でありたかったんだもーん、ということは口がさけても言えない)そういう「薔薇の運命」を、自らの手で選び取ったのだと・・・。