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Chose de parler de la danse ダンスについて語ること

Autoportrait de l'auteur en danse :パリ、ダンス、言葉の敷石を踏みしめて

寒明 2月7日、今月の振り付け第一週雑感 

Quotidien Cours de danse

 ダンスからの帰りの道。外は暗かったけれど、なんとなく昼間のあたたかさの余韻を残し、空気がぼんやりと揺れていた。凍てつくような寒さでもなく、如月という美しい日本語の今月なんだな、と思う。空は少し霞がかっていて、オリオン座がうっすらと見える程度。

 向かいの寮の煙突からもくもくと煙があがっているのだが、それがよどんだ今日の夜空にうまい具合に溶けてゆく。チムチムチェリーを口ずさみたくなる今夜。疲れはそれほど感じていない。帰りがけに1.91ユーロのスペイン産の赤ワインを買って来たが、身体の凍えて冷え切っているわけではないので、なんとなく有り難味が感じられない。グラス一杯、ほんの少しだけ暖めてこれを綴ることにする。

 いよいよ残り3ヶ月となったダンス。つまりは残り3曲、というわけで。今日はその振り付け初日。

行く前は「ううっ、体が動かないよぉ」と直前までベッドにうずくまっていたけれど、意を決して熱いシャワーを浴び、気合を入れて出発。さあ、今月はどんな曲で、どんな振りが待っているのだろう。一ヵ月後に、確実にじぶんは前より成長したと、新たななにかを学べたと、思えるかどうか。悔いがなかったと、自分を誉めてやれるような一ヶ月を過ごせるように。教師との、最後の思い出作りもカウントダウンに入ったんだと自分に言い聞かせる。

 先月は、終わりよけれればすべてよし方式で乗り切ったずるさがあるんだ。実は最初の週の振り付けのビデオはそりゃあ私、ひどいものだった。カウントは遅れているし、戸惑って教師のほうばかり見ては、失敗しまくっているのがよく分かる。最悪のスタートだったから、せめて今月は、最初から「最後の日」のつもりで本気出していくことを自分に課した。「ビデオがあるから家で復習すればいいや」「教師の動きを分析すればいいや」ではなく。「今」スタジオでしか学べないこと、その雰囲気の中でしか習得できないことが9割なんだと思って、3時間の一秒もだらけないこと、余計なことを考えない、集中する練習を自分に課した。

 クラスのフランス人たちに負けないこと。絶対に、彼らに気持ちで譲らないこと。それ、ちょっと勘違いじゃない?戦い方の方向性間違ってない?って言われるかも知れない。でも、やっぱりダンスにおいては、周囲に勝つことも大事な要素なんだよ。自分の能力を、自分だけが満足していても駄目。その場にいる全員に、「実力」でもってうなずかせることが大事。その日の結果をその日に出し、周りにうんともすんとも言わせない、確実にこいつがトップだと、「誰の眼から見ても反論できない」、そういう立場になって、自らセンターの座を奪いに行かなくてはならない。

 ダンスのレッスンには暗黙の了解があり(それがまったく通じない奴も多いが)強いものが勝つという極めてシンプルなルール。「ダンスは勝ち負けじゃありません」とか甘いことを言っていてもいいんだけど、それじゃ単なる「独りよがり」の域を脱しない。

 自分に勝つということは、周囲にも勝つということだ。小さな自分だけの世界で満足していたい奴は一生そうしていればいい。少なくとも、私はそうじゃないんだ、センターに立つからにはそれにふさわしい技術と品と人格がある、そういう「態度」を、言葉でなく結果で見せ付けていくこと。

 サッカー、野球、どんなスポーツでも一緒じゃないかな。海外で戦うにおいて重要なポイント。言葉、コミュニケーションも大事だけれど、実力がないのに人気のある奴なんているわけない。どう認めさせていけるか、どう相手を納得させるか。

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 今日の出来としては、少なくとも、先月のようなぶざまな、自分でも目を覆いたくなるような出だしとならなくてよかった、の一言。最初が肝心と緒を締めて、ぶっ放していった手ごたえが、自分の中にある。まだ現時点では、今日のビデオが送信されてきていないから、それを見て確認した感想ではない。あくまで自身の気持ちや身体がそう感じている。pas mal 。悪くない。

 今月のテーマは先月の戦闘モードとちょっと違って、なんだかヤニス・マーシャル風のセクシーな振り。床にひざまづき、自身の感情を思いっきり爆発させて良い。ある意味マゾな振り付けなんだけど、ああ、いいんだ、身体で叫んでいいんだ、魅せていいんだって、またこれまでにないテーマを突きつけられたようで、私としては立ち向かいがいがある。よじ登る壁は高く、困難であればあるほどいいではないか。

 教師は相当無理してるんだろうな、と思う。本来ならもう、そんな床にひざまづいての振り付けなんか出来る身体じゃないから。腰もひざも、相当悲鳴を上げているはずだ、と思う。3ヵ月後の手術に向けて、彼はある意味、ダンス生命を賭けて、最後全力を出し切っていくつもりなんじゃないか。だとしたら、その「本気」に応えられる自分でありたい。それが、私が彼に出来る唯一の感謝方法だから。

 例えば今日、交通事故で私が死んだとしても、来週クラスに私が不在でも、彼は「ああ、いないな」ぐらいにしか思わないだろう。そのまま来なくても、「どっか別のところ(先生)に行ってしまったんだろう」ぐらいにしか思わないだろう。寂しくもなんともない、彼の人生にとってはただ数ヶ月を来ただけの、外国人でしかない。それでも、残り3ヶ月となって思うのは、教師から与えられるだけではなくて、多くを与えた生徒として、彼の記憶に留めてもらえたら、ということ。ほんの一瞬でも、言葉も通じないこの異国で、同じ空気を共有した、「袖刷りあった」ことの奇跡を、ダンサー、振り付け教師という仕事で彼が遺したものを、目に見える形で彼自身に返してやりたいと思う。

 15歳でダンスで生きることを辞めた私は、それからじぶんの人生が止まっていると思っているけれど、彼は確実に、私にゆるしを与えてくれた、生きていいのだと、喪われた時間のために踊っていいのだと、15のじぶんに戻っていいのだと、伝えてくれるために、神様が引き合わせてくれた。彼はもちろんそんなことは知らないし、一生知らないまま、あと3ヵ月後にはサヨナラすることになるのかもしれない。

 うまくいえないけど、収入もなく、底辺のこの日々の中で、与えられるだけでなく「与えたい」と思うモノや、人にめぐり合えたということは、ほとんど奇跡に近いことではないのか。それだけで、あと私がどう落ちて行こうとも、ここに生きてたどり着いた意味はあるんだと、自分に言い聞かせてみたい。

 生きること、踊ること、書くこと。全部戦いだけれど、それは必然だったのだと。