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Chose de parler de la danse ダンスについて語ること

Autoportrait de l'auteur en danse :パリ、ダンス、言葉の敷石を踏みしめて

一月終わりの雑感――ダンスについて語ること

Cours de danse

  1月のコレ(振り付け)も今日が最終日、ビデオ取りの土曜午後。午前はフランス語のテキストの独学をしようと思っていたのに、村上さんのブログだの何だのネットサーフィンしながらだらだら時間をつぶして寝てしまっていた。食欲・性欲・睡眠欲が人間の三大欲みたいだけれど、そのうち二つがかけている私は、ひたすら病的な睡魔に襲われて、自室にいるのにほとんど入院患者と変わらない、寝ておきるだけの空虚な日々。外国でやってると「外こもり」っていうんだよね。働いてもいなければ、納税もしていない、かといって日本に住民票があるわけでもない、単に文章で身を立てたいという志があるだけの異国の生命体。異邦人。いつ消えても、死んでも、生きていた証は残らない。最期に死ぬとき、悲しまれないことが寂しいのではない。生きていなかったことが悲しいのだ。

 ダンスは先週の日曜朝をサボったので、ちょうど一週間ぶり。先週は事前のストレッチも、その後のクールダウンもぜんぜん出来ないままだったので、その後太ももの裏の筋が、筋肉痛のような神経痛のような嫌な引きつりと痛みで4日ほど不快な感覚が残っていた。

 今月もいろんなことがあった。ナサニエルの「ユーアー・ビューティフル」を聴きながらまだ真っ暗なうちに寮を出て仕事先へ2時間かけて通った年始。ロンドンよりミラノより深そうな朝霧の中を無言で進んでいく地方の山道のバス。いろいろあってそこを一週間で辞職する羽目となり、その後、働いた分のお金は一切支払われていない。

 ナサニエルの曲が、1月7日に起こったパリの一連のテロ事件と深く結びついている。その曲を死ぬほど繰り返し聴きながら、1・11のレピュブリックの行進にひとりで参加したこと。「YOU」は、私にとってあの時、シャーリーであり、フランスであり、団結であり、リベルテ(自由)・イズ・ビューティフル、と同義語だった。そして一緒に踊るダンサーたち・ダンスを愛する、同じ空間を共有する仲間たちーーすべてが「you」であり、ビューティフル、だった。私はこの一ヶ月を、この曲を、決して忘れないだろう。

 そして中旬には、先生の再手術とそれに伴う4ヶ月の休講が発表された。現段階では秋には戻ってくるといっているけれど、事実上、首をきられるよりは自ら辞す方向で、つまりは15年以上のダンス教師暦にピリオドを打つことも考えているらしいといううわさ。生徒たちはそんな教師の身の上でなく、「あら5月から私たちどこ行こうかしら。大変だわ」って感じで、自分の行き先だけ案じている。なかなかフランス的でよろしい。口が裂けても、「あなたの味方だよ」なんてへろっちょいことはいわないフランス人。

 仕事を失ったのに伴って、再開した語学学校。結局語学が出来なければ、何も始まらないわけだから。しかし午前のクラスのレベルが低すぎて、周囲からは何も学べない感じ。かといって上のクラスにしちゃうと午後開始になるので、生活上のリズムを作るうえで、我慢して午前クラスに出ているけど、語学学校であわないクラスに居ることほど時間とお金の無駄遣いはないね。語学以前のモンダイの脳みそのない若者たちで一杯。37にもなって、ちょっときついな。こちらは人生かかっているのに。お金のことを口にするのははしたないことかも知れないけれど、それはお金でマジで悩んだことがないうらやましい人たちだと思う。お金があれば、時間と自由が買えるんだよ。どれだけ、のどから手が出るほど「お金さえあれば」ってのた打ち回ったか知れない。お金さえあれば、上のレベルの教育が受けられるのに。真剣な人たちの集う、行きたい学校にもいけるのに。いったい自分の人生は、どうしてこうなっちゃったんだろう。誰のせいでもない、自分の「業」で、自分で、好きだから選び取っているんだけれど。好きだから、乞食をやっているわけなんだけど。

 最後のビデオ取りは3回。うまく行ったかどうかは分からない。でもじぶんは少なくとも、闘った。鏡の中の自分と闘った。気を抜けば、自分の1月の迷走が、すべて無駄になると思った。いいたい事も泣きたい事も山ほどある。でも私は負けないと、そんな気持ちを全部踊りに託した。一生のうちの、37歳の1月に、すべて言い尽くしたってぐらい、私は、そう、この曲と「闘おう」と思った。かつて、こんな闘志を抱いて踊った曲はないぐらい。負けない、と思った。周りのフランス人に。私を殺した会社、家族、教師、知り合い、運命、宿命、そんなものに。這いつくばって、生きて、生きて、戦い抜いてやろうと思った。この業を生き抜いてやろうと思った。そんな気持ちをあと数回しかない作品のひとつに、託した。

 教師はそれでもこちらを見ていない。実力主義ではなく、自分がかわいいだけの教師。なんとなく同情してしまう。彼にも彼の悲しい人生があり、一人のダンサーがその役割を終えて去ってゆく後姿に、私の気持ちは「同情」でしかない。言葉が通じなければ、どれだけうまかろうと、居ないのと一緒。私たちがその最後の日を迎えたとしても、彼が感謝するのは彼の親衛隊のデブ集団であり、ダンスの基礎のまったくない、踊りすら知らない連中なのだと思うと、自分がいかにここで無駄なときを過ごしてきたか、後悔しないわけには行かないのだけれど。師に恵まれないというのも、その人の人生における、ひとつの才能なんだろう。そう思う。

 私は満足したことがない。人を愛したことがない。それでも、今日の教師の笑顔と、ラスト10分、私の頭をこつこつと叩いてくれた、その手のぬくもりがあったことに、感謝しよう。一人の、同じダンスを愛するものとして、教師に最高の「メルシー」(有難うございました)を伝え、最後の日まで、見送ってあげよう。私に返せるのはそれぐらいだから。

 3時間のレッスンが終わって外に出ると、外は真っ暗。昼はあんなに晴れていたのに、雨の降った形跡のぬれた路上。パリでは、空気が乾燥して湿気がないからか、雨上がりの「香り」がしない。ただ濡れた路面が、三日月よりも若干膨らみかけた、オムレツみたいな月の光を受けて、冷たく光っていた。

追記・その日のうちにアップされた動画を見た。今までのどれより、自分の気合が入っていい踊りをしていた。一箇所ふらついたターンがあったけど、持ち直して引きずってないところ、最後の最後の一秒まで、しっかり闘い抜いた動画だったから、悔いはない。これでひとつのメモリー(思い出)が終わった。たぶんあと3作品で、このクラスは解散となる。刹那、刹那をいとおしんで、来月もこの魂を燃やし尽くすだけだ。全力投球。今を生きるために。