Chose de parler de la danse ダンスについて語ること

Autoportrait de l'auteur en danse :パリ、ダンス、言葉の敷石を踏みしめて

ダンスをサボって 

日曜。朝目が覚めたら8時。昨夜はダンスから帰って、歯の痛みがひどくなるの分かっててわざと赤ワインをホットで飲んだ。1.97ユーロのフランプリの最安値ワイン。カフェで一杯のコーヒー飲むより安いんだ。美味い不味いじゃなく、酔って寝てしまえればよかった。

 寮の壁が薄くて、隣の脳みそ薄そうな男の声が明け方の4時、5時ごろまでずっと聞こえていた。話筒抜け。上の階の部屋の住人も、歩くだけで音が伝わってうるさいの何の。パリで寮にいられることはシアワセだと思わなきゃいけないんだけどあまりにアホ学生への嫌悪感が募る。べらべら内容のない英語を夜な夜なでっかい声で話されてるからたまらない。

寝不足のまま鳴り響く時計を止め、二度寝に陥る。せめて8時半まで、と思ったけどついぞ三度寝。昔アシュタンガヨガやってた頃なんて、5時おきで電車乗って6時から運動してたんだから凄いよね。あの頃はそれが絶対的に健康な生活だと宗教みたいに信じ込んでいた。今思うとちょっと怖い。ダンスも表現も閉じ込めて、それでいて「ヨガって私の求めてるものとなんか違う」って思い続けてたんだから、笑っちゃう。

 横と上の部屋のうるささと発狂寸前の空腹とで21時時ごろ一時間だけ爆睡した後、起きてしまって朝までまったく眠れなかった。それで世界のマックのご当地メニューとかネットで見て比較してた。面白いんだこれが。

 結局朝のダンスのレッスンはサボってしまった。昨日から裏心理では「行っても何も得られない。ただ疲労するだけで無駄」って、正直からだが「行きたくない」ってSOS出してた。午後のスタージュも当然サボる。

 教師が辞めるかもって話。早速フランス人生徒たちの昨日の反応。5月からどこへ移ろうって話でもちきりで教師の身体や手術や今後を心配するなんてことより、自分の身が大切でたまらないフランス人たちの通常っぷりってある意味凄い。クラスではそっけなく、何の関心もないように振舞っていた連中に限って、フェイスブックとかいわゆるソーシャル上で教師に対するうらみつらみを書いているのもバレバレ。曰く「お前は(教師は)少なくとも私たちに謝罪したのか?」「(教師に対する不満でストライキを起こしてこなくなった生徒たちに対して)なにが“セ・パ・グラーヴ”よ。(仕方がない、の意だが、ストライキはフランス語で『グラーブ』であり、それと引っ掛けて非難している)あんたが率先して反抗の意を示すために来なくなったくせに」と生徒同士のののしり合い。ああ、どれもかしこも自分しか考えないフランス人の納得の行動。日本人たる私なんてぶったまげるぐらい堂々と。この毅然とした「自分中心主義」は、ほとんど文化的社会的敬意に値する・・・。

 昨日ダンスの最後に思った。どんだけ頑張っても、心を込めて踊っても、この教師が最後の日に感謝するのは(へたくそでも)いつもつるんでいる親衛隊一味なんだなぁ・・・と。ストリートジャズは、ダンスの基礎がまったくない人でも靴さえあれば踊れるというのが定義。つまり、下手にダンスの基礎と経験があり即踊れてしまう生徒なんて、場違いだし教師としても扱いにくいんだね。あ、別に自分が凄いっていってるわけじゃなくて、一般論で。

 毎回、ビデオ取りの時にはセンターでなくて、この教師は自分と親しい下手くそな連中の側に行ってしまう。こっちがどれだけ振りを覚え、前回より上達して、努力して参加したとしても、まったく見ていない。レッスン中に水を飲みに行ったり、時間を守らなかったり。すぐに疲れた様子を見せたり。そういう些細なシーンが私の中で鬱積して(日本やNYのスタジオだったら考えられないから)どこまで「フランス人の資質」的モンダイなのか、それともこの教師の性質的・個人的・人間的レベルの小ささによるものか、図りかねる。

 怒りのぶつけようがなく、こちらはただただ、頭に来て帰るだけなのだ。

 やはり教師として「未熟」なんでは。無理に崇拝しようと、知らない地で少なくとも自分を支える師が欲しいと、私が勝手にあがめていただけで。本当はそんな器の人間じゃなかったのかも知れないのに。本人もそれ良く分かっているから、あえて真正面からまともな生徒ほどぶつからないように距離を保っている。ことごとく逃げられてる感じ。マジの人間を相手にするだけの責任感も器も自分にはありません、だから過剰な期待をしないでくださいって、会う度ごとに言われている気がする。

 生徒に一瞬でもそんな気持ちを抱かせるような教師ってどうなんだ?(少なくともここパリを出ればどこにいったって通用しない)安心なんだよね、じぶんが、きっと。6年とか15年とか、一緒にやってきた古株の生徒たちの側にいると。ホントは不安でいつもおびえてて仕方ないんだよね。その気持ちは分かるからーーだから私も、もう何も言わないほうが良かろうと諦めモード。こっちのマジな気持ちをぶつけたり、うまくなろうと期待したり、ましてや成長しようなんて思ったら大間違い。時間とエネルギーの無駄だって。ほかにやるべきこと、向かうべき場所はあるだろうって。

 教師に感謝はしているけれど、卒業のときが近づいているのがひしひしと感じられる。嫌いになる前に、いい思い出のまま去るべきだ。何事にも深入りしない個人主義フランス人のように。最初から居なかったみたいに。誰の心にも残らずに。

 ダンスに出会えたことを奇跡みたいに感謝して、勝手に有り難がって、費やしてきてしまったパリでの膨大な時間はなんだったんだろう。お金もないのに。

 間違っていたとしても後悔はしない。でも何も得られず、何も形に残せなかった日々。自分の人生はこうやって無為に、徒労に、すり減らして、終わっていくのかと。そんなことのために、国を出てきたのかと。

 書きたい、書きたいと一生言い続け、ついにひとつの作品も残せないで終わる無名の作家みたいに。