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Chose de parler de la danse ダンスについて語ること

Autoportrait de l'auteur en danse :パリ、ダンス、言葉の敷石を踏みしめて

一か月終えて――手ごたえ

 今月度の振付が昨日で終わった。毎土曜3時間。毎週送られてくる動画を見ては、ショックを受けて。それなりにポジティヴな手ごたえは自分の中に見つけられた。

 前日のレッスンで、気持ちの中に何か前向きなものができていたのかも知れないし、期せずして前列に出てしまったことで「間違えられない」という気負いのようなものもあったのかも知れない。

 自分が今パリで、異言語の中、ダンスという手段を通じなければ出会うこともなかったはずのフランス人達と空間を共有していることの意味を考えた。一瞬を無駄にすることは自分で自分を放棄すること。ダンスは誰に強制されてやっているのでもない。くじけたり、いじけたりしてフロアに居る「今」を無意味に過ごしたら、帰る国も、職も、家も全部清算して出てきた、私の覚悟は何だったのか。「今」を100%、正直ここにいる誰より強く生き抜かなくては自分が存在する意味がない。

 踊るのはいつだって「今」この時、一瞬でしかないのだから。集中すべきはそのわずかな時間の中でしか、あり得ないのだから。

 もっと事前の準備ができたのではと、反省すべき点は幾つもある。もっと動画で教師の動きを研究できたのでは、もっと早い段階でミスに気づけたのでは。でも昨日「色々あったけど、ここまで乗り切って来れてよかった、踊れてよかった」と自分でも驚くほど素直に思えた。

 何とか自分の納得するレベルに達していた。最初の頃より成長した。前は振りの速さについていけずワンテンポ遅れてる感じだった。今回は「負けない」って、気持ちが前へ、前へと向いているのがちゃんと動画を通してでも感じられる。細かい部分を言いだしたらきりが無いが、ある種の課題を達成したと初めて思えた。

 前半のモダンが終わって、後半、この季節なのに汗がだらだら流れて、髪も洗ったみたいに濡れた。でもセンターで必死に歯を食いしばって踊っていた時、急に教師がみんなの前で、私に一つ注意を与えた。初めてのことだった。これまで怒られもしないし褒められもしなかった。何も見てもらえてないと思っていた。

 方向転換のステップ。一か所、hiphop的な要素の足さばきが私には難所だった。何かが不格好。そのステップそのものではなくて、「ステップに入る前の振り」の、「左足の動かし方と最後の置き位置」が微妙に違っているのだとその場で教えてくれた。みんなの前でだ。ビックリした。その時は言われていることを理解するので必死だったし、驚き、というのもおそらく後から湧いてきた感情だけれど。自分が「ここに居る、センターで踊っている、あなたの教えに真剣に食らいついていっている」のが、ようやく認められたのだろうか、そんな気がした。ここまで半年かかった。

時間はかかる。何をしたって。そう簡単には手に入らない。しかも相手はフランス人だ。だから一つ一つ毎月の振付を、自分の中に吸収して行く。教師が言ったこと、言わなかったこと、全部その振りから学んで。一回ごとが、これが最後の作品になるぐらいの気持ちで、余力なんか残さず、全力投球して行く。

 あと幾つ、私はこの街で、彼らとこんな時間を過ごせるのだろう。必ず終わりはやってくる。これから出会う作品一つ一つが、自分が、この街で生きたあかしになる。

 状況は何ひとつ変わっていないのに最終日を終えて、何か気持ちの中で明るい光が芽生えた。やるだけのことはやった、そういう小さな充実感。それを確かに明日へ繋げて、どんな歩みであろうと、自分らしく顔を上げて、進んで行くしかない。