Chose de parler de la danse ダンスについて語ること

Autoportrait de l'auteur en danse :パリ、ダンス、言葉の敷石を踏みしめて

逃げて楽になれるのか?

 昨日はいつもの朝のレッスンやめて午後にしてみたけど、もっと最悪なだけだった。でも教師が帰りがけに笑いかけてくれたから、それで良かった。

 さっき土曜にやった振付動画が届いたけれど、私は一番前の一番隅っこに逃げていたから、うまい具合に動画の隅でキレて、画面に全く入らない死角だった。だから全く写っていなかった。嬉しいような気もしたしこれで『名実ともに』、ほんとうに私はここにいたあかしが何ひとつ、残らないんだと。

 これはあなたたちのクラスだから。あなたたちのダンスだから。あなたたちの「趣味」だから。あなたたちの「遊び」だから。通りすがりの「パッセンジャー」が邪魔したりしないよ――――。

 へんな東洋人が、それこそ生きてる理由だの踊る意義だの、パリの滞在意義だのぶつけられても、そんなのパリの人たちにはしったこっちゃない。

 勝手に紛れ込んだのは私の方なのだ。迷惑してるのは、君たちの方なのだ。

 静かに去った方がいい。早ければ早いほどいい。

  うそだろう。

  動画に残らなかったことで、「ホッ」としてるのは、

 みじめな自分を見なくて済んだからじゃないのか? 

 へたくそで、太って情けなく、

 フランス人にまぎれたらただちびの白い、幼稚園児が紛れ込んでいるとしか見えないからじゃないか?

 今にも泣き出しそうな顔で、一テンポずれて踊ってるからじゃないか。

ただ、逃げただけじゃないか―――――。それで、楽になれたのか?