Chose de parler de la danse ダンスについて語ること

Autoportrait de l'auteur en danse :パリ、ダンス、言葉の敷石を踏みしめて

日曜の朝、今日も晴れ 

 昨夜はダンスの後、帰宅後ずっとブログを更新していたから、心が落ち着いた。やることがないと、ざわめきいらだつ神経をどうやって落ちつかせていいか分らず、無駄に時間だけがイライラと過ぎてゆく。

 今朝はこんなに晴れているし体調も悪くないし6時起きだけれど、朝のレッスンに出るのはやめる。マンネリを避ける。「習慣の力を大切にする」という思い込みを捨てる。日曜朝はろくなメンバーが居ない、たぶんクラスの中でも最も初心者レベル。私が一日をオーガナイズしたためだけにスケジュール的に朝を選んでいる、+近いからという理由なのだけれど、意味ないかも。

 午後はかなり遠い場所まで遠征しなくてはならない。でもそれも今日あたりはちょっと生活に色を与えるつもりで出てみるのもいいかも。午前はネットにつながないようにして、(これ書き終えたら)Danseの本のあとがきを終えてしまおう。今もうほとんど投げやり仕事みたいに(ダンスに半年前のような意義が見出せないから)この本のあとがきを書いて(だからいつまでたってもかけないのだけれど)、でもなんとか不本意であっても、早いうちに、手放してしまおう。それが今の私なのだから。ずるずる長引かせるのが一番良くない。それより不安と不満を抱えた「今」の私の次の作品にとりかかった方がいいから。

  正直、ダンスに関して何ひとつ「ポジティブ」な結論などないのに、あとがきを書いているというのは不可能に等しい作業なのだ。この本の結論などないのに、つまり私の生きた、踊った証がすべて無意味だったということが――検証し自らの手で改めて実証されただけのこと。その上何を述べろと。

La tristesse ne peut pas être exprimé
Ni l'anglais ni le français, même dans ma langue maternelle

哀しみは表現できない。英語でもフランス語でも、私の母国語でさえ。

 mais,Pour moi, la danse, c'était <une langue>,  

 けれども 私にとって、ダンスは確かに、ひとつの言語でした。

Qu'il peut les représenter seulement. それらを表すことのできるゆいいつの。

 C'est professeur J qui a enseigné à moi――N'est ce pas ?

 それを私に教えてくれたのは、教師のJだった、ですよね?