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Chose de parler de la danse ダンスについて語ること

Autoportrait de l'auteur en danse :パリ、ダンス、言葉の敷石を踏みしめて

ドキュメンタリー映画『パリ・オペラ座 夢を継ぐ者たち』7月日本公開

Danse Le ballet de l'Opéra de Paris

パリ・オペラ座バレエ団の舞台裏と伝統の受け継ぐダンサーたちの姿を描き出したドキュメンタリー映画、『パリ・オペラ座 夢を継ぐ者たち』。東京「Bunkamura ル・シネマ」での公開が7月22日(土)とのことです。公式サイトはこちらから。

backstage-movie.jp

「ロパートキナ 孤高の白鳥」「至高のエトワール パリ・オペラ座に生きて」などバレエが題材のドキュメンタリーを多く手がけてきたマレーネ・イヨネスコ監督が、現役トップダンサーたちとその指導者、オペラ座バレエ学校の子どもたちの姿を通し、夢と伝統が受け継がれていく様子をとらえた作品です。古典からコンテンポラリーまで数々の演目が全編を通して登場するほか、押しも押されぬ大人気エトワールのマチュー・ガニオが語るダンサーとしての本音、新作に取り組むレッスン風景、ロパートキナのリハーサル風景なども収録しています。

公式予告編

www.youtube.com

パリオペの日本公演は終了した頃でしょうか。

23歳の若き期待の星、ユーゴ・マルシャンがエトワールに昇格されるという歴史に刻まれる瞬間に日本の観客皆さんが立ち会ったという事実は、パリ在住の筆者にとっても、こころから羨ましい限りです。

公式サイトでは、パリ・オペラ座ガルニエ宮、及びパリオペを代表する新旧のエトワールたちーーマチュー以外にも、アニエス・ルテステュのアップ、また将来を担うこと確実のエトワール候補らの横顔が並んでいます。

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『パリ・オペラ座 夢を継ぐ者たち』Backstage 監督:マレーネ・イヨネスコ

出演:マチュー・ガニオ/アニエス・ルテステュ/ウリヤーナ・ロパートキナ/オニール八菜/バンジャマン・ペッシュ/ウィリアム・フォーサイス/アマンディーヌ・アルビッソン/ジョシュア・オファルト/エリザベット・プラテル/バンジャマン・ミルピエ/ジャン=ギョーム・バール/ローラン・イレール/ジェレミー・ベランガール/ステファン・ビュリヨン/ギレーヌ・テスマー

配給:ショウゲート 公開 Bunkamuraル・シネマ 7月22日(土)より

パリオペラ座&英国ロイヤル 夢の共演<バレエ・スプリーム>

Danse Le ballet de l'Opéra de Paris

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2017年夏、バレエ界最高峰の二大カンパニー、パリ・オペラ座バレエ団、英国ロイヤル・バレエ団の精鋭スターたちが日本で一堂に会するという夢の舞台が初めて実現するそうです。名付けて『オペラ座&ロイヤル夢の共演〈バレエ・スプリーム〉』。この記事を書いている3月現在、パリ・オペラ座バレエ団は日本ツアーで東京滞在中です。

芸術監督のオレリー・デュポンと、この初企画へ出演予定の6人のエトワール、ダンサーたちの出席したプレス懇談会の様子が、主催元である日本舞台芸術振興会(NBS)公式サイトにてアップされています。

(写真左から)ジェルマン・ルーヴェ、レオノール・ボラック、フランソワ・アリュ、ユーゴ・マルシャン、オレリー・デュポン監督、マチアス・エイマン、ミリアム・ウルド=ブラーム、公式サイトよりお借りしました。

記事によると、まず本企画のスーパーバイザーであるオレリー・デュポン監督が挨拶。

f:id:kotorio:20170311043026p:plain「この公演は野心的なプロジェクト。オファーがきて即、お受けしました。私が選んだダンサーたちは美しいダンサーのサンプルのような人たち。英国ロイヤル・バレエ団と素敵な時間をシェアする機会でもあります。ドアを開き、お互いに交流できることは、素晴らしいメッセージとなると思います。

 日本の観客の皆さんには、それぞれの違った流派を見比べていただけるチャンスです。プログラムには、私たちの伝統を代表するルドルフ・ヌレエフの作品もあり、フランスらしいバレエを楽しんでいただけることと思います」

マチアス・エイマンミリアム・ウルド=ブラームは『白鳥の湖』第2幕のパ・ド・ドゥを踊ります。

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「新しい世代のエトワールたちと共演できることは、貴重な経験となると思います。英国ロイヤル・バレエ団はレパートリーもダンサーも特徴的。刺激を受け、外からの視線を感じるよい機会となるでしょう」(エイマン)

「また夏に日本に戻って来られることを嬉しく思います。マチアスはパートナーとして敬愛していますし、彼をはじめ私がちかしく思う人たちと日本で過ごせることを幸せに思います」(ウルド=ブラーム)

レオノール・ボラックジェルマン・ルーヴェ。年末の『白鳥の湖』でエトワールに任命されたばかりの新エトワールカップルです。同企画でも『白鳥の湖の湖』第3幕のパ・ド・ドゥが見られるそうですよ!

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「私たちにとってとても重要な作品。ジェルマンはよく注意を払ってくれる優しい相手役です。素晴らしき美男ですし、完璧なパートナーです」(ボラック)
「私たちのキャリアのシンボルとなる作品ですから大切に思っています。レオノールは非常に優雅で生き生きとして、私を物語世界へ、彼女の世界へと導いてくれるのです」(ルーヴェ)

元エトワールとして、また現芸術監督として、デュポンの発言も興味深いです。
「パートナーというものは、アーティスティックな面でも、テクニカル面でも、また人間的な面でも美しく、素晴らしい組み合わせであることが必要です。今回私が選んだダンサーたちは皆、最高のペアになっていると思います」

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プルミエ・ダンスールのフランソワ・アリュは『レ・ブルジョワ』(コーウェンベルク振付)を踊る予定。
ーー「ガラで何度も踊っていますが、大好きな作品です。メッセージを伝える、人物を伝えることがショーマンなのだと思うのだけれど、この作品ではその部分を発揮できると思います」

ユーゴ・マルシャンは前日『ラ・シルフィード』の主役代役を務め上げ、終演後エトワールに任命されたばかり。
ーー「とても幸せです。昨晩起こったことは目覚めたまま見た夢のよう。一度しかないこの瞬間を日本の皆様と分かち合えて嬉しいです」

初のパリ・オペラ座とロイヤル・バレエの合同ガラ。文字通り夢のような饗宴に、日本の皆様の今夏が羨ましいです。

オペラ座&ロイヤル夢の共演<バレエ・スプリーム>

Aプロ 7月26日(水)6:30p.m. 27日(木)6:30p.m.

Bプロ 7月29日(土)1:00p.m. 29日(土)6:00p.m. 30日(日)2:00p.m.

会場 文京シビックホール 

パリ・オペラ座 新エトワール誕生!ユーゴ・マルシャン東京公演にて任命

パリ・オペラ座バレエの日本ツアーが始まっている中、素晴らしいニュースが飛び込んできました!

3月3日『ラ・シルフィード』。予定されていたマチュー・ガニオが怪我で降板。急遽主役のジェームズ役をHugo Marchand(ユーゴ・マルシャン)が務めました。

前日のマチアス・エイマンの好演ぶりが新聞評などにあったので、これは相当なプレッシャーだろうと。ユーゴ・マルシャンは長身で存在感のある(でもとってもスリムです)ダンサーで、まだ23歳です。

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ジャンプも得意で舞台に華を添えますし、丁寧な足さばき、細やかさに日ごろ定評があります。ラ・シルフィードのようなノーブルかつ古典の主役を彼ならどう演じるか。

この日、相手役は、まさに妖精といった雰囲気の、可愛らしいアマンディーヌ・アルビッソン。初の共演だったそうですが、公式フォトで見る限り、とっても若々しくて、お似合いのカップルですよね。

ユーゴ・マルシャン、将来はエトワール確実の路線を歩んでいる期待の新人です。ぜひ日本の皆さん、要チェックをーーーと思った矢先。

オペラ座の公式サイトを覗いてびっくり。なんと、マルシャンのエトワール昇格が発表されています。任命の瞬間の公式動画はこちら。

www.youtube.com

3月3日の代役公演を無事終了後、カーテンコールで芸術監督のオーレリー・デュポンが登場。逐次通訳付きで、ユーゴ・マルシャンのエトワールへの任命を発表しました。

デュポン、アルビッソン、また私服で袖に控えていたレオノールさんはじめ他のエトワールたちも出てきて、抱きしめ合うマルシャン。動揺もせず、感極まった様子もなく、笑顔で、鳴り止まない客席の「ブラボー」に応える姿はとても堂々と見えますね。(場内総立ちのよう、動画も途中で人の頭で肝心の舞台中央が隠れてしまっていますね)

本拠地パリ・オペラ座ガルニエ宮でなく、海外公演中でのエトワール任命は、マニュエル・ルグリがNY、バンジャマン・ペッシュが上海で、という前例があります。日本では、おそらく初となる出来事だったのではないでしょうか。

デュポン監督就任以降、年末のジェルマン・ルーヴェ、大晦日のレオノール・ボラック、そして3月3日、東京でのユーゴ・マルシャンと、若手がこれで3人、エトワールに昇格したことになります。

デュポンとともに新しいオペラ座の歴史をつくる彼ら新世代の活躍に、ますます目が離せないパリ・オペラ座です。

 

「ピナ・バウシュを読む」を書き終えて

Danse

f:id:kotorio:20170301033806p:plain こんな優しい微笑みのピナは珍しい。いつも寡黙で、哲学する人の横顔だったから。でも晩年は常にこんな表情を浮かべていたのでは、と思う。人として満たされた者だけが持つ独特のオーラ。与えたものだけが辿り着く、どこか、あるところ。

拒食症か戦時中の栄養失調の子供みたいに、ガリガリで骨と皮ばかりのピナが好きだった。若いときも、老いてからも。カフェミューラーで見せる、風が少しでも吹こうものなら今にも倒れそうな細い枯れ枝。若いときの写真を見ても、極端に細すぎる体型の持ち主だから生まれもっての体質もあるだろうが、自身でもジュリアード留学中、節約のため痩せてゆく身体をみるのが好きだった、と言っている。

ピナ作品に限らず、コンテンポラリーは決められた型でなく踊り手の内部をえぐり出すもの。だからこそ、より強靭に、プロフェッショナルに鍛えられた真の踊り手の「身体」が必要だという信念は、私は何があっても揺るがない。

ウッバダール舞踊団のダンサーには、目を覆いたくなるような太めやずんどう体型、短い足の者もいる。「多様性」を受け入れたピナとその周りに集う人達。類は友を呼ぶ方式で、日本で愛や感動の安売りが(商業的に)なされることが、私には耐えられなかったのだろう。私にとって芸術は、神が選んだほんの一握りの者たちの宿命であり(本人の意思とは全く関係なく)崇高かつ神聖な、決して土足で踏み入れてはならない領域だからだ。しかしながら改めてピナの肉声を拾い集めてみると、生前語られなかった生身の姿が、少しだけ近づいた気がする。

拒絶のギエム、慈悲と受容のピナ。孤高のギエム、与え、愛し、愛されたピナ。

天地ほどに異なる二人の傑出した舞踊家を比較することなど余りに酷で、ましてや優劣をつけるなど断じてできはしない。殊更、踊り手と振付家という決定的な違いがあるのだが。

「振付とは人の身体で空間をデザインすることです。そしてダンスの物語には精神的な動機付けが重要です」 

ダンス創作の上で必要なすべては、自然にピナの精神に蓄えられていた。彼女は生涯をかけてそれを磨き、周囲に分け与え続けていた、ということ。

「この仕事が私を呼んだ、と思っています。私はそれに従い、以来、仕事が与えてくれる喜びを享受しています。私の創作する作品全ては私が影響されてきたことそのものです」

大きすぎる言葉を使わず、いつも静かな、けれどあたたかな眼差しで人間を見つめていたピナ。今は遠いどこかで、タバコを燻らせているに違いない。

以下は当記事を作成するにあたって参照したフランス語(一部英語)のピナ関連参考文献。日本語への翻訳出版がなされていないものが多く、いつか手がけられたらーーとは思うけれど、遠い夢かな。

Pina Bausch - Histoires de théâtre dansé Broché – 13 juin 1997

Pina Bausch ou l'art de dresser un poisson rouge Broché – 7 septembre 2016
de Norbert Servos (Auteur), Dominique Le Parc, Cécile Delettres (Traduction)

Le Langage chorégraphique de Pina Bausch Broché – 24 avril 2009
de Brigitte Gauthier (Auteur)

chez.pina.bausch.de Broché – 18 novembre 2015
de Jo-Ann Endicott (Auteur), traduit de l'allemand par Mathilde Sobottke (Auteur)

Pina Broché – 18 juin 2014
de Walter Vogel (Auteur), Salomon Bausch (Préface), Mathilde Sobottke (Traduction),

Café Müller (+DVD) (Anglais) Relié – DVD-Vidéo, 23 septembre 2010
de Pina Bausch (Auteur)

Pina Bausch vous appelle Broché – 24 avril 2007
de Leonetta Bentivoglio, Francesco Carbone (Auteur), Leonor Baldaque (Traduction)

f:id:kotorio:20170301033447p:plain 最後に…

このピナの写真を見たとき、一瞬、息が止まるかと思うほど驚いた。私を世界でただ一人愛し育ててくれた亡き祖母の面影そのものだ。私はピナを追いながら、幼少の私を求め、祖母を追いかけていたのかもしれない、と。

ピナ・バウシュを読む その4 京都賞受賞記念講演後半

Danse

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異なる国々や文化に根ざした多様な音楽財産が、私たちの作品には欠かせない構成要素となっています。オーケストラや合唱団との共同作業はまた、作品を再演する際に、新しい可能性への好奇心と意欲を呼び起こしています。

・創作手法ーー問いかけによって創り上げるという方法も、新しく採り入れたものでした。すでに『青髭』で、いくつかの役柄のためにダンサーに質問するやり方を始めていました。その後、ボーフム劇場で初演したマクベスの『彼は彼女の手を取り城に誘う―皆もあとに従う』で、この方法をさらに進化させました。

・この作品では、もはや決まりきった動きを用いるわけにいかず、別の場所から出発する必要がありました。私は「質問」、つまり私が常に自分自身に対して問いかけていることを彼らに投げかけました。土壇場から生まれた手法ですが、これらの「質問」は、テーマに手探りかつ注意深く近づく手段です。オープンであると同時に、正確でもあります。「質問」は、私が一人では考えも及ばぬ多くの事柄へと案内してくれるのです。

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・(パートナーでもあった)ロルフ・ボルツィクの死ーー彼の最後の舞台美術作品は『貞女伝説』です。私たちは彼がもう長く生きられないと知っていました。けれど、この作品は悲劇的な痛ましいものではありません。ロルフ・ボルツィクは、愛を求める気持ちと生きる喜びとが共存する舞台を望んでいました。1980年1月、長い闘病生活の末、35歳で亡くなりました。

・ペーター・パプストやダンサーたちが、これほど長い期間、困難な道を私とともに歩み、信頼を寄せ続けてくれることに感謝しています。彼らはみな、輝く珠玉の存在です。それぞれが自分自身の方法や異なるフォルムを持っています。私はダンサーたち一人一人を愛しています。彼らは美しい。私は、彼らの内面がどんなに美しいか、を、お見せしたいのです。

・常々感じていることは、ダンサーというのは舞台上で初めて知ることができるということです。彼らが自分を少しずつさらけ出し、一つの舞台が終わるたびに一人ひとりを以前より近くに感じることができる。彼らから次々と引き出される新しい部分に、私はただ驚かされるばかりです。

・以来、私たちの作品のほぼ全てが他文化との出会いによる共同制作によって生まれています。香港、ブラジル、ブダペスト、パレルモ、イスタンブール。全く異なる風俗、音楽、慣習に接することで、未知ではあるが誰にもなじみのあるものを、ダンスで表現することができるのです。知ること、それを分かち合い、怖がらずに体験すること。

・舞踊団としてもまた私たちは国際的と言えます。異なる文化圏出身の多様な個性が集まっています。どれほどお互いに影響し合い、刺激を与え、相互に学んでいることでしょう。外国へ旅をするばかりでなく、私たち自身がすでに一つの世界です。そしてこの世界は、出会いや新しい経験によって、絶えず豊かさを得ています。

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・結婚、出産ーー私は人がどのように死ぬのかを経験するとともに、人がどのように生まれてくるのかをも体験することになりました。これらによっていかに世界の見方が変化するかということも。子どもがどのように物事を経験するか、子どもがいかに偏見にとらわれることなくすべてを観察するか、どれほど自然や人に信頼を寄せるか。自分の身体とは別に、一人の人間の誕生を丸ごと把握しました。自分が何もしなくてもすべてが起こるのです。こうした体験が、どれほど私の作品と仕事に流れ込んでいるか計り知れません。

・子どもの頃から知っている町、ヴッパタールで30年以上も生活と仕事を続けているのは素晴らしき偶然です。私はこの町が好きです。着飾ったお洒落顏の町ではなく、普段着の町ですから。

・私は以前「私の関心は、人がどう動くのかではなく、何が人を動かすのかということにある」と発言したことがあります。この言葉はよく引き合いに出され、今でも生きています。

・新作初演前の不安は、今でもあります。これ以外の形があるのではないかと迷い、プランも台本もなく、音楽も舞台装置もない。初演日が決まっていて、残り時間はわずかという時、一つの作品を創るのは決して娯楽ではない。もう二度と作品など創りたくないという思いは、毎回味わう試練です。それなのになぜ私は同じことを繰り返しているのでしょう。長年仕事をしてきても、まだ学んでいません。どの作品も再び最初から始めなくてはなりません。自分が到達したいところに決して手が届いていないといつも感じているにも関わらず、初日も終わらないうちから既に次の作品プランを考えているのです。

・このエネルギーはどこから生まれるのでしょう。もちろん日々の修練は大切です。とにかく働き続ければ、突然何かしら、何かとても小さなものが生まれます。それがどこへ行くのかはわかりませんが、誰かが灯す明かりのようなものです。そして再び勇気と元気を取り戻します。誰かが何か美しいものを創ると、人は引き続き働こうという意欲と力を得ます。内側から湧き上がってくるのです。

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・振り返れば、これまで私は、ダンサーやスタッフ一同と長い道のりをともに歩いてきました。私は人生において、特に旅や友人との交流を通して、たくさんの幸運に恵まれました。ですから多くの人たちに、他の文化や生き方と触れ合ってほしいと願っています。お互いを恐れなくなり、私たちすべてを相互に結びつけているものがよりはっきり見えるのではないでしょうか。どのような世界に住んでいるのか、を知ることが大切だと考えます。

・舞台の素晴らしいところは、私たちが普段の生活では全くできない、してはならないことを表現できることでしょう。時には、私たちが未知のものに立ち向かうことによってのみ明らかにされることもあります。私たちの問いかけが、今日の文化圏に関してのみならず、遥か昔の異文化をも、もたらすことがあります。

・つまり舞台上で表現するということは、確かに持ってはいるものの、日常的に認識しておらず、気に留めていない知識を取り戻すことです。すべての人が等しく持っている何かを思い起こさせ、それによって私たちは力を得ているのです。

ピナ・バウシュを読む その3 京都賞受賞記念講演前半

Danse

「舞踊と演劇の境界線を打破し、舞台芸術の新たな方向性を示した振付家」として、ピナは2007年、日本の「第23回京都賞」を受賞している。記念講演で語られた一生を前後半に分けて振り返る。

ピナ・バウシュ | 第23回(2007年)受賞者 | 京都賞

 《受賞理由》ーー人間の動きの根源的な動機を追及した独自の振付法で、演者と観客双方の感性に肉迫する独創的な作風を確立すると同時に、舞踊と演劇の境界線を打破し、舞台芸術に新たな方向性を与えた。

1973年以来ヴッパタール舞踊演劇団の芸術監督として、ドイツ表現主義舞踊の、社会と個人の現実を追及するスタイルを継承しつつ、モダンダンスの新しい身体・舞台表現を融合した。代表作『春の祭典』では「豊穣を願うため犠牲として選ばれた女性が死に至るまで踊り続ける」というストラヴィンスキーのコンセプトを再現、全体と個人、残虐性と麻痺、陶酔と恐怖などのテーマを描き出した。

バウシュ氏は、人間の内面から沸き上がって肉体を突き動かす力を追求し、動きの意味や理由を重視する独自の演劇的手法を確立。1976年以降の『カフェ・ミュラー』、『コンタクトホーフ』等、作品には言葉、歌、日常の仕草が意味を持つ動きとして取り入れられている。土や水、植物や動物など、自然の産物を大胆に取り入れた舞台美術。氏は「舞踊演劇の創始者」として認知された。1986年ローマに滞在して創作した『ヴィクトール』はじめ様々な国の都市で「国際共同制作」を行い、異なる文化、価値観との接触を作品に反映させた。

テーマは、孤独や疎外、男女間の葛藤、個人と社会の対立、自然と人間の関係など。現代に生きる人々の普遍的かつ切実な問題だ。ダンサーとの綿密な対話から作り上げられる作品は、見る者の記憶や感性を直接に刺激し、従来の舞踊作品とは別格の激しい反応を引き起こす。既成の価値観は崩壊し、新たな現実と真実の認識を迫られる。舞踊と演劇の境界線を打破し、舞踊に社会と時代を映し出すメディアとしての新たな可能性を示した。舞台芸術全般に新たな活力を与えた。

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《記念講演》ーーピナの講演原稿から、印象的な箇所を抜粋した。

・幼少時の家庭環境ーー両親は、私のことをとても誇りに思っていました。私のダンスを見たことがあったわけでも、特にダンスに興味があったわけでもありません。でも、私は両親から愛されていると感じていました。何も証拠は要りません。両親は私を信頼し、決して非難しませんでした。私は罪悪感を抱く必要が全くありませんでした。大人になってからもそれは変わりません。このことが、両親が私に与えてくれた最もすばらしい贈り物です。

・「私」は何を表現すべきか、「私」は一体何を主張したいのか、さらにどんな方向へ「私」は進んでいくべきなのか、ということを見つけなければなりません。おそらくここに、その後の仕事の基礎が置かれたと言えるでしょう。

・師ーー二人目の父のような存在、クルト・ヨースです。私にとって、彼の人間性と物の見方は最も重要でした。大事な年頃に彼と出会えたことは幸運でした。

・学生時代に背中の痛みがひどく、医者にかかった結果、診断はすぐ踊ることを止めなければ、半年もしないうちに松葉杖の生活になるだろう、というものでした。ーー私は、たとえあと半年間しか残されていなくても、踊り続けようと決心しました。自分にとって本当に大切なものについての決断を下しました。

困難な状況において自分の平静さを保てること、困難からエネルギーを生み出せることに気づいたのです。それこそ信頼できる自分の能力でした。

・ニューヨーク生活(ジュリアード音楽院時代)ーー英語を話せず、楽ではありませんでした。カフェテリアで、欲しいものを指差すことはできました。ある日、財布を忘れ、レジで事情を説明しようとしました。バッグからトーシューズや他のシューズを出してカウンターに並べ、全部ここに置いて再び戻ってくるからと言いました。するとレジの男性は、私が帰宅できるように、5ドルをポンと渡してくれました。私を信用してくれたことが信じられませんでした。以降、ただこの男性に挨拶するためにだけ、私はそのカフェに通いました。ニューヨークでは、よくこうした場面に遭遇しました。人々は親切でした。

・ニューヨークでは、与えられたものは何でも吸収しました。当時のアメリカのダンス界は、ジョージ・バランシン、マーサ・グラハム、ホセ・リモン、マース・カニングハムといった。卓越した人たちが活躍する黄金時代でした。私が学んだジュリアード音楽院の教授陣も、アントニー・チューダー、ホセ・リモン、グラハム舞踊団のダンサーたち、アルフレッド・コルヴィーノ、マーガレット・クラスクといった顔ぶれでした。さらに、ポール・テイラー、ポール・サナサルド、ドーニャ・フォイアーらとも数え切れないほど一緒に活動しました。

・私は毎日公演を観ました。すべて重要で比類の無いものでした。そのため、1年分の予定費用で2年間滞在しようと決めました。倹約のためまず歩くことにしました。アイスクリームだけ(ナッツ・アイス)で栄養補給しました。それに小瓶のバターミルク、テーブルの上のレモン、大量の砂糖、全部を混ぜるとおいしいのです。絶妙な組み合わせのメイン・ディッシュでした。

私は痩せていくことを気に入っていました。さらに自分の内の声に、自分の動きに耳を澄ますようになりました。そうすると何かしらもっと純粋に、より深まる感じがしました。思い過ごしだったかも知れませんが、身体の変化だけではない何かある変化が起こっていました。

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・フライトで荷物を紛失してーー以降、どこへ連れて行かれようと、もう不安はありませんでした。到着時の私の所持品は、ハンドバッグ1つだけで、この一連の出来事は、すべて予想外の展開でした。行動できた理由はわかりません。それほど行動する力があるということも意識していませんでした。

・舞台上でのアクシデントーーあのように立ち続けられた理由もほとんどわかりません。考えた末の行動ではなく、単にそうなっただけなのです。想像したり、望んだりするのではなく、何かをすると、何かが変わるのです

・振付を始めた理由ーー力を出し切っていない、物足りない気持ちがありました。踊ることに対する強い欲求と、自分自身を表現したいという衝動があり、私は振り付けを始めたのです。

・ある時、ヨースがリハーサルを見に来て、「なぜ君はいつもあっちこっちと床に這いつくばっているんだい?」と聞きました。自分にとって重要なものを表現するために、他人の動きという素材や形式を利用することは私にはできません。その人に対する尊敬の念からそう思うのです。すでに見たものや習ったものは、私にとって触れてはいけないタブーです。なぜどのように自分を表現できるのかという袋小路に自らを追い込みました。

・プラン通りにするか、どこへ導くか分からない何かを思い切って試みるか、決心が必要でした。私の初作品では、まだプランに沿っていましたが、その後、計画を立てること自体を止めてしまいました。それ以降、私は思い切った試みを続けています。それがどこへ向かうのかは分からないままです。

・振付家としてーー本当は常に踊っていたいだけでした。とにかく踊らずにはいられませんでした。踊りこそが自分を表現できる言語なのです。ヴッパタールにおける初期振付作品のうち『春の祭典』の犠牲者役や『タウリスのイフィゲネイア』のイフィゲネイア役などは、自分自身で踊りたいと思ったほどです。役柄はすべて私の身体を用いて書かれているからです。しかし、振付家としての責務のため、踊りたいという欲求をいつも抑えてきました。本来私の中にある愛情、踊りたいという大きな願いを、他の人たちへ譲り伝えることに至ったのはそういう訳からです。

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・私たちがブレヒトとヴァイルの夕べを催した時、オーケストラの何人かの楽団員は、「こんなものは音楽じゃない」と言いました。私はまだ若く、経験不足でしたので簡単にあしらえると考えたのでしょう。とても心が痛みました。しかしそのようなことで、自分が大事に思うことを表現したり、試みたりすることを止めようとは思いませんでした。決して怒らせるようなことはせず、ただ私たちについて話すように心けたのです。

・ダンサーたちは、私とともに大いに誇りを持ってそのような困難な道を歩んでいました。それでも時には摩擦が生じました。あるシーンの出来がとてもよく、私は喜んでいるのに、ダンサーの一部はショックを受け、不平を言いました。私の指示は不可能だと言うのです。

その4・後半へ続く

ピナ・バウシュを読む その2 Orphée et Eurydice - Pina Bausch 

Danse Le ballet de l'Opéra de Paris

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ピナと一緒に仕事をした振付家の証言。

「誰でもあきらめたこと、手放したものがある。一方でどうしても捨てられないものもある。戦争、災害、生き延びたばかりに、死ねなかったことを一生悔やみながら残りの生を生きざるを得なくなってしまった人々もいる。笑っているから幸せとは限らない。

自分を律して前に踏み出さなければいけない精神…ピナと仕事すると、先人たちの思いや営みがよぎる。すると自分の創るダンスはもはやダンスではなく、自己表現ですらなく、もっと自我を超えた大きな力なのではないかーーと」

ピナ自身はドイツ人でダンサーとしての訓練もドイツで積んだ。しかしヴッパタール舞踏団のダンサーは、国籍、言葉、文化、年齢から体型までバラバラ。異なるバックグラウンドを持つ人間が集まる。

舞踏団の年配ダンサーは「ヴッパタールは年を取っても必ず役が与えられる。ベテランになればそれだけ経験も可能性が広がったと認められた、そう感じられる」と言う。普通は30過ぎたら引退を考えてもおかしくはない。

ピナの仕事とはつまり、共通点なきダンサー一人一人と対話を交わしながら彼らに眠っている感性を探り出し、ひとつひとつ選り分け、世界の人々の共通理解可能な言語ーーつまり「ダンス」に翻訳した、といえるかもしれない。

ピナがダンサーに要求するレベルは、ありきたりの訓練で得られる次元とは完全に異なる。それが、ギエムがピナと仕事をしたいと思っていたにもかかわらず怖くて踏み出せなかったと言った最大の理由だと思う。言い換えれば、ダンサー達自身の既成概念の殻を、自ら打ち破る精神力を試されること。ギエムは自らの防御壁を破るなどできなかったはずだ。その気持ちは痛いほどわかる。ピナとギエム、この二人は、生きている方向性が真逆なのだから。

f:id:kotorio:20170228050208p:plainピナ作品を語るときいつも「愛」という言葉が使われる。にもかかわらず、作品そのものは暴力的で、某「すみれコード」にも反するものばかりだ。生々しく、激しい感情をぶちまけたような表現、舞台上の叫びあいに、わたしは生理的嫌悪感、吐き気を催してしまう。

わたしにとってダンスもバレエも、ましてやパリオペも、至高の芸術で、聖なる領域だ。コンテ作品であればなおのこと。クラシックの「型」を突き破り、魂の自由を再現するからこそ、ミリ単位で鍛え抜かれたプロフェッショナルなダンサーの身体、技術、ほとんど修道僧のようなギリギリの精神が必要だ。それに対して我々は驚異し感嘆し、自らの思考を高める喜びを得ることができる。

自分の半径5メートルに容易に置き換えて理解できるようなものは知性でも教養でも、ましてや芸術でもなんでもない。

痛みと怒りがどうして「愛」につながるのか。絶望を絶望だと叫ぶことがなぜ、人々にそんなにも受け入れられたのか。それは「ダンス」という表現芸術がしなければならないことなのか?それがーー人々がダンスに求める「癒し」なのか。

それによって死後も過大な?評価をされ続けているピナ(あの3D映画のせいで)。

彼女が開いたとされる「ダンスの可能性」とは。ピナの作品になぜダンスを見なかった人までもが「慈愛」を感じ取り「これはわたしの物語だ」と涙を流すのか。

2008年京都賞受賞時のピナ自身の講演を前後半に分けて読み解く。その3に続く。

ーーー私は、生まれながらに持っている 自分自身の身体というものの大切さを感じます。 身体はその人そのものです。 ピナ・バウシュ